1 そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。
2 それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を過ごすためです。
3 そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
Ⅰテモテ2:1-4
テモテへの手紙は、パウロが若い同労者であるテモテへ書いた手紙。
パウロは「何よりもまず…」「何を置いても第一に…」教えたい事があると書いています。
何よりもまず大切にしないといけない事は、
祈ること。とりわけ「とりなしの祈り」が大切だと言っています。
とりなしの祈りとは、
自分の事を祈るのではなく、他の人の為に祈る事を意味します。
「他の人」とは誰か。
それは自分以外の人。クリスチャンの人かもしれませんし、
また、まだ主を知らない人、主から離れて生きている人(聖書はこれを罪人という)の代わりとなって祈ると言う意味です。
パウロがテモテにとりなしをする対象として、
「全ての人、王たちと高い地位にある全ての人たち」と書いてあります。
パウロにとって、王や高い地位というのは、ローマ帝国の皇帝や役人を指しています。
パウロにとってのローマ帝国とはどのような関係だったでしょうか。
第三回の伝道旅行が終わる時、パウロはローマ帝国に逮捕されます。
パウロにとってのローマ帝国とは、仲の良い同労者のような近い存在ではなく、人間的な目で見れば自分から遠くに置きたい間柄だと言えると思います。
パウロは、その様な人の為にもとりなしの祈りを、‟何よりもまず” するべき事だとして手紙に書いているのです。
簡単に言えば、
仲の良い味方の為だけでなく、あなたの敵に対してとりなしの祈りを勧めているのです。
…難しいですね。
自分を苦しめ陥れようとする敵に対して「神さま、主が裁いて下さい」と祈ることは出来ても、
自分を苦しめる敵に対して、
私を苦しめる敵が、主を知り、罪赦され、主の祝福と平安が満ちた人生を送る事が出来ますように…と祈れるでしょうか。
私は頑張って出来たとしても、自分で敵を裁かない。主に委ねる…というのが、私の限界な様に思います。
そんな事を考えていると、思い出した御言葉があります。
「あなたの敵を愛しなさい(ルカ6:27)」です。
自分にとっての敵、嫌な相手、自分を傷つけた相手を「許す」と決心したとします。
そして自分でその相手を裁かないと主に祈り、主に相手との関係「相手を裁くのは主である」と委ねたとします。
そして私たちは、自分の敵を自分で裁かないように、相手に対して自分の心をフラットに保とうと努力します。
相手に対して憎む思いを持たないように、自分の心を見張るのです。
…しかしこれは「敵を愛する」という行為ではないのです。
自分で相手との関係性を、白黒をつけるような結論を下すのではなく、主に敵との関係性を主に委ねる。という行為であり、決断なのです。
「愛する」という行為には至っていないのです。
自分の視界から消しただけの状態。
自分の心から排除させ、相手に自分の心を奪われないようにした状態なのです。
「敵を愛する」とは、敵の為に「とりなしの祈り」をする事ではないか…と思いました。
敵が主を知り、主から罪の赦しを得て、主の祝福と平安を得れるように、祈る事が「敵を愛する」と言えると思います。
ハードルが高いですね…
続けて2節を読むと、
どうして自分にとって喜ばしくない相手や敵に対して、とりなしをする意味を教えられています。
その様なとりなしの祈りは、
相手の祝福の為だけでなく、自分の為でもあると言うのです。
「私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を過ごすため」だそうです。
敵を愛するというとりなしの祈りは、敵の為だけでなく、私の為なんだというのです。
また敵だけでなく「全ての人」の為にとりなしを勧めています。
私たちは、神様から離れて生きている人(聖書では罪人と言われている)の代わりとなって祈る
罪人は神さまに祈る事を知らないのです。
祈りを知らない人の為に代わってとりなすのです。
私たちが、神さまの心に寄り添い、救いや祝福を祈るのです。
対象は「全ての人」です。
自分に与えられた対象の人が、人それぞれいるのです。
自分が通っている学校で会ったり、勤めている会社。
属しているコミュニティや、友達、家族。
もしかしたら、会社で自分1人だけがクリスチャンかもしれません。
ということは、自分に与えられている職場は、主が私にその会社に属する人の為にとりなしの祈りを望まれているのです。
私がその職場の代表者として任命されているのです。
私たちの職場(置かれた場所)は、今まで祈りが成された事がない場所の可能性が高いです。
自分はとりなしの祈りを、主に任命された代表者である…
その場が、神さまの義がなされるように、
祝福され、救われる人が起こされるように。
イエスさまは、今も私たちの為にとりなしの祈りをして下さっているのです。
私たちもイエスさまと共に祈っていく者となりますように…
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」