見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
黙示録3:20
病院でいると、患者さんが口にする事があります。
「後悔」です。
病を負い、先が長くないかも…と感じた時、死を意識した時…
自分の人生を深く振り返り見つめ直すようです。
先日、患者さんがこんな事を話されました。
「人生、やり直せるなら一からやり直したい。でも… やり直せたとしても、どのようにやり直したら良いのか… わからないな…」
「自分はどのように生きるべきだったんだろう…」と。
2週間ほど前まではこのように話せたおじさんが、
今はもう、日に日に気力がなくなっているのを感じます。
私の目の前の人には、残された時間がないのです…
心が苦しくなります。
病院でこのような姿を見る度に思う事があります。
私たちも、
自分に何か大きな問題が生じた時、
自分では解決できない試練に立たされた時、
窮地に立たされた時、
また愛する者を失った時、
人間について、人生について立ち止まり考えたり、人生が虚しく感じる時間を過ごす事があります。
自分の人生は、今までの歩みは、自分の選択は、これで良かったのか。
このまま歩み続けていいのだろうか?
悩み苦しく感じたり、人生が嫌になったり、孤独を感じたり…
でもこれは… 完全に「祝福」だと思います。
時間がある状態で、
立ち止まり人生について考えるチャンスが与えられているからです。
日本のキリスト者の詩人に水野源三という「瞬きの詩人」と呼ばれた人がいます。
小学生の時に赤痢に感染し、脳性麻痺を併発し、体の自由を奪われました。
目をつむるり、瞬きする事しか自分の意志表示が出来ないのです。
水野さんの詩に「あの日あの時」という詩があります。
あの日あの時に
戸の外に立ちたもう
主イエス様の
御声をきかなかったら
戸をあけなかったら
おむかえしなかったら
私は今どうなったか
悲しみのうちにあって
御救いの喜びを
知らなかった
人生に起きる困難、苦しみ、悲しみ、孤独…
主が私の心の扉を叩かれているのです。
主は、今日も私たちに語られています。
心の扉を開きましょう。
今、忙しい…
〇時までにしないといけなくて…
明日なら…
私たちには、先の事は分からないのです。
明日があるかどうかも…
今日、大切なものを選ぶ一日となりますように!!
「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」