人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。
箴言16:9
うちの次男は高校1年生。
先日、教会の中高生のクラスで誕生日の男の子がいたそうです。
担当の牧師先生と数名で誕生日のお祝いをしようと、礼拝後にご飯をご馳走してくれたそうです。
それで牧師先生が誕生日の男の子に「将来の夢はなに?」と聞きました。
「パウロより偉大な牧師になりたい!」と答えたそうです。
次男が家に帰って来て私にその話をした後、
次男は自分の人生プラン話し、そして
「お母さんの人生の目標ってなに?」と聞くのです。
「…」
最近…「自分に人生のプランについて…もっと深く考えないと!」と思っていた矢先の質問。
どうしてそう考えたかと言うと…
6月から看護助手のパートに行っています(週2の夜勤)
これをしてみたい!と思った経緯があり、初めての医療介護関係に応募したのです。
生活の為にパートに行っています。
そして働いてみて、思いの外、自分に合ってる!と感じています。
夜中って暇じゃない?と思われがちですが、凄く忙しいのです。
病院の中は涼しいのに、ずっと汗をかいています。(忙しくて)
無資格の助手と言えでも、自分で考えて察して動く事によって、患者さんの急変にも役に立つ事が出来るのです。
人の最期に立ち会う事も多く、色々な人生の縮図を沢山見てるように感じています。
生活の為に働くことを希望し、週2-3日位で…単にお金を稼ぐだけでなく
意味がある時間を過ごしたい…と祈って与えられました。
主が病院で私に様々な人生の縮図を見させ、私に教えたい事があるんだな…と思っています。
主が私に教えたい事、学ばせたい事を、100%習得できますように!と祈りつつ仕事に行っています。
そして先日、もっと医療や介護について学びたいな…と思ったのです。
派遣会社には資格をバックアップする制度があります。それを利用して学ぼうか…と思ったのですが、
ふと夫が「学ぶ事は良い事かもしれないけど、それは自分の人生に必要?」と言うのです。
一瞬、頭が「❓」に。
自分の人生の大きな道筋、大きな目標、向かっていく方向性は何だったのか?
介護の道が自分の人生の大きな道? 人生の目標?
と言うのです。
流れるがままに流されそうになっていました💦
学ぶ事は良い事だけど。
自分の中心をしっかり持ち続けなければならない。
私には「主を伝える人生」という目標があり、生活の為(だけではないと思うが)の仕事。
自分の人生の目標の道は「主を伝える」であり、その中心となる道には小さな小道が沢山あります。
パートはその小さな小道の1つ。
例えば、‟学校の先生になる!”という人生の中心の目標を持ち、
それに対する準備として、綺麗な字を書く練習をする。水泳を習う、本を沢山読むなど…
中心の目標の道を歩む為に、沢山の小さな小道もあるのです。
しかし小道に迷い出過ぎたら、そのまま小道を進んでしまうかもしれません。
そのような人生が間違っている訳ではないのですが、
「自分が計画した大きな人生の道から離れている」という認識が必要です。
大きな道を歩み続ける為に祈り、その道からズレずに歩み続けれるように祈っていくのが大切だと思いました。
特に、目標を持たずに生きていたら…
その場その場で、流されて生きて行く事も多いと思います。
それがダメだという意味ではなく、反対に小道と思っていた所から、自分が思ってもなかった小道が大道変わるかもしれません。
しかし反対に、少しずつ大道からズラせる罠かもしれません。
これには、気を付けないといけないのです!
年齢に関係なく、人生のプランは持つ方が良いです!
何となく流れまま過ごすより、
一日一日、目標に向かって主と共に歩む。
自分の得意な事、好きな事、興味のある事、
自分をどの様に用いようとされているのか、主に祈りながら耳を澄ませる…
最期まで主に喜ばれる道を歩む為に…
今日も、一生懸命主と歩みます。
共に主の道を歩みましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」