クリスチャン同士の交わりは大切です【へブル3:12-14】

2023年

兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。

へブル3:12-14

次男は、毎週月曜日の朝、元気いっぱいです。

近くに住む同級生と一緒に私の運転で学校へ行っています。

次男は、金曜日に学校帰りに教会へ行き、大人の金曜礼拝で楽器の奉仕をし23時頃に帰ってきます。

土曜日も学校終わりに教会へ行き、日曜日の礼拝の準備や賛美団の練習をします。

日曜日はまず大人の礼拝で楽器の奉仕をする為に早めに行き、音を合わせ礼拝を捧げ、

昼からは中高生の礼拝で楽器の奉仕。

金~日曜日が、スッゴク楽しいようです。

私と夫は、子どもたちが教会へ行くのは自由にさせています。遊ぶのであっても外でブラブラせず、教会で遊ぶのなら小さい時から自由にしていました。

明日が定期テストの日も、本人が礼拝に行きたければ行かせています。

そして1つだけ注意をしています。

楽器の演奏者や賛美リードなど、前に出て導くことに気持ちよくならない事。

賛美は私たちを満たしてくれるものだけど、賛美だけの信仰はダメ。

聖書を読み、信仰の根っこを育てることを忘れない事。

…でもね。まだまだ高校一年生の15歳。

月曜日は週末の満たされた思いが心を満タンにし、一緒に行くAくんに、テンション高めで教会での話をずっとします。

一度も教会に行った事がないAくんは「なんか想像と違う…教会のイメージと違う…」と言っています。

そして火曜日。

朝からダルそうです。週末の疲れと寝不足も手伝い、

Aくんとの登校中に、「教会が楽しい分、学校が面白くない… あ~あ~ずっと教会に行きたいわ!」と言い続けます。

私が、「あなたの神さまは、教会にしかいないの?」と言ったら、「あ…💦」と。

私「教会では殆ど100%周りがクリスチャン。学校では殆どノンクリ。学校で感じる神さまを楽しんだら?」

次男「お~それもいいかも!」と気を取り直し学校へ。

次男のこの姿を見ながら、思い出した事があります。

長男は今、韓国の大学生です(この9月から復学!)教会の中にある寮に住まわせてもらっているので、何かと奉仕が山積みです。

長男も次男も、神さまが大好きで…(もちろん私も大好きですが)2人とも中学位から教会で過ごす時間が長くなっています。

熱心に奉仕をし、行事なども中心的に献身的に準備に参加します。

これって…ある意味危ないです。

幼い時から熱心になるのが危ないという意味ではなく。

信仰って言うのは本当に不思議なもので、いくら熱心に教会や主に仕えていても、

ある日突然、糸が切れた凧のように、フラフラ~と飛んでいくのです。

いい感じに風が吹き続けてくれれば、ある程度、糸の切れた凧は空を飛び続けますが、

糸に繋がっていないので、あっち行ったりこっち行ったり。

風が一瞬やんだりすれば、墜落するのです。

信仰は、何か大きな問題が生じたから、大きな傷を受けたから、とかそのような出来事がなくても、

ガス欠のように、思い通りに走らなくなることがあるのです。

特に理由なしにです。

長男次男は、教会で仕えながら、大人の人に良く言われる言葉があります。

「オレも若い時は、お前みたいに熱心だったよ!」

私が、長男次男に「この言葉は何を意味する?」と聞くと

「昔は熱心だったけど、今は違う…」「今は違う人って多いな…」

今は違う人に「もう一度、以前のように熱心になりましょうよ!」と言っても、その腰を上げるのは簡単ではないのです。

信仰は守らないといけないものなのです。

何となく持ち続ける信仰は、確信のない信仰へと姿が変わるのです。

ある日突然、大きな困難に苛まれたら、信仰が無くなる可能性もあります。

今日、一生懸命、主を信じるのです。

今日、一生懸命、賛美を捧げるのです。

今日、一生懸命、祈るのです。

今日、一生懸命、御言葉を味わうのです。

今日、一生懸命、互いに励まし合うのです。

過去の信仰を、主はどの様に受け取られるのか分かりません。

分かっている事は、「今の信仰」が一番大切だという事です。

互いに励まし合い、少し危機感を持ち、信仰を持ち続けましょう!

今日も、主と共に歩んで下さい!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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