子どもに伝えたい事~親孝行について【申命記5:16】

2023年

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それはあなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。

申命記5:16

今日は、聖書の話というより、長男と次男に残しておきたい話を書きます。

先日、次男と一緒にテレビを見ていました。

すると、マツコ・デラックスさんと誰か(忘れた)が出ていて、「50歳を過ぎると‟死”を考えるようになった」と話し、それを聞いたマツコさんが「分かる~!」という会話を次男が聞きました。

次男「お母さんってさ、‟自分の死”を考えた事ある?」

私「そりゃ・・あるよ! 大人になれば、多くの人が考えるんじゃないかな~」

次男「え・・・そうなん?? もう死ぬかも・・って考えるの?」

私「もう死ぬかも・・というより、子どもの時は考えなかったけれど、1日1日が死に向かってるんだなと気付くというか・・」

次男「えーー、まだまだ親孝行できないけど~」

私「親孝行って何をしようと思ってるの?」

次男「・・とりあえず言ってみただけだけれど(笑) ・・それは今から考えていく・・」

という会話があり、私が考える親孝行について書いておきたく思いました。

まず、私と私の親について。

他人から見た母親はどの様な印象なのかは分からないですが、私にとって母親は最高の母親でした。

もちろん完璧な親という意味ではなく、何が最高の親というかというと、信仰の面においてです。

姑と同居しながら、自営業で4人の子どもを育ててくれました。

姑はキツイ所があり、苦労しました。自由に教会に行かせてもらえなった中、

難しい環境の中、信仰を守ってくれた。

1日に何度も跪いて祈っている姿を見せてくれた。

何度も涙を流し祈っている姿を見せてくれました。

私たちが幼い時は毎日家庭礼拝をしてくれた。

この母親に育ててもらえたというのが本当に感謝です。

父親と私の関係は、良くありませんでした。私は父親からの心の傷が多く、

幼い時からずっと自分は父親に嫌われていると感じていました。

ある時、私は「父親の愛を求める事を辞めよう」「父親不在で育ったことにしよう」と自分の心をその様に整理した事があります。

そんな中、母親がまず亡くなり、父親一人になり、父親は老いて行きます。

そうなった時に、父親の一番近い存在は長女の私となります。初めてちゃんとした親子になれたように思います。

ずっと私の中には、どうして幼い時から私だけあれほど嫌ったのか。

という事をずっと聞きたいと思っていました。

私がどれ程傷ついたか・・と訴えたいと思っていました。

しかし、もう地上での命に限りが近づいている事を感じます。

そう思った時、残された時間を、私がこの老いて行く父親を責めて過ごすのではなく、母親はまだ救われていない父親を心配して主のもとに帰っている事に心が止まりました。

私が父親から傷を受けたように、

父親も85年生きながら、色々な傷を受けているはずです。幼い時に父を戦争で亡くしています。またたった一人の妹も幼児の時に亡くしています。

母1人子1人で育ちました。

この父親も色々な傷があり、一生懸命生きて来た。そんな人生の中で出来上がった価値観や判断力は、主の目には沢山正しくないものが殆どかもしれない。

私の父親が亡くなり、主の前に立たされた時、父親は全てを悟るんだろうなと思いました。

父親が今までの自分の人生で、理不尽に感じた事、悲しすぎた出来事、傷ついた出来事、主によって全て癒しを得るんだろうな。

自分の人生で間違った価値観や判断力、人に発してしまった良くない言葉や態度など・・

主に出会ってどうして自分はそのような事をしてしまったのか、気付かされるんだろうな・・と思いました。

父親はいずれ、主の前に立たされ時、全てを悟るのです。

自分がどう生きて来たか、自分がどれ程、主から離れた生き方をしていたか。

どれ程、自分が知らない間にも主に守って来られてきたか・・知る時が来るのです。

・・私は年老いた父親を見ながら、その様に感じ

「もう全て良いや・・主に任せよう。言いたい事は沢山あるけれど、いずれ主が、父親に全てを解き明かして下さる。」と思ったのです。

そして、父親について感謝出来る事を探しました。

一生懸命仕事をしてくれる父

真面目な父

真面目に働くという姿を見せてくれた

他人に理不尽な態度を取られても、相手に文句を言わなかった父親の姿を覚えています。

子ども4人を育ててくれた

毎日の食事できる環境で育ててくれた

私が幼稚園の時、手を繋いで登園してくれた

晩年に良い親子関係になれた事が本当に感謝

欲が少ない生き方を見せてくれた

毎日、家で寝てくれた(浮気しなかった)

自分の母親(私の祖母)を大切にしていた

痴呆が始まった時に「自分は幸せだ」と話してくれた

「お父さんは自分が幸せだと思う。お前たち4人、誰も特に悪い事をせず生きてくれてる。孫たちも素直に真面目に育ち大きくなってる。それが何よりも幸せだと思う」

と言ってくれたのです。

私は、この両親に対して世間的な親孝行はしたことがありません。

自分の親以外は分かりませんが、

もしかしたら、成人した子どもに旅行に連れて行ってもらいたい!と切に願っている親がいるかもしれません。

それにはそう願う理由がその人にはあるんだと思います。(それを否定するつもりは全くないです)

私が子どもに願う親孝行は、

「一生懸命に信仰を持ち続けること」

「その信仰を子どもに、他の人にも伝えること」

「毎日、幸せを感じて生きて欲しい」

この3点です。

信仰は単に持ち続けるのではなく・・一生懸命です。

この世は主の価値観で動いていません。その中で信仰をもって生きて行くのです。

懸命に信仰を持ち続ける必要があります。

そして、自分が受けた主の恵みを人に伝えて欲しいのです。

そして、人生色んな事があるけれど、それでも自分は主に出会う事が出来て、本当に幸せだと感じて欲しいのです。

親孝行は、私が生きている時も、私が主のもとに行ってからでも出来ます。

私の父親は、亡くなる数ヶ月前に病院で洗礼を受けました。

私は父親と母親が、親孝行として何を望んでいたのかは分かりませんが、天の御国で主と出会い、全てを癒され全てを悟ってる今・・

多分、私が思っている親孝行と同じことを思ってくれているのではないかと、勝手に思っています。

ですから私は、自分の親に対して、まだまだ親孝行中です。

これからも、主と共に歩み、主を伝え、私は幸せだと感謝しながら生きて行きたいです。

私が主のもとに帰った後、

子どもたちは「あの時、親にあんな言葉を言わなかったら良かった」

「あのような態度をとるべきではなかった」

「良い息子でいれなかった」

など、心残りがあるかもしれません。

でも、そのような事に心を煩わさなくて大丈夫です。

私は主のもとで、癒されていない傷を癒してもらい、今まで理不尽に感じていた自分の人生を全て解き明かしてもらい、子どもたちの今までの言動においても主のもとで全て理解し、

全てにおいて微笑ましく思ていると思います。

だから、私も自分の親に対して、申し訳なく思うより、感謝を記憶して生きて行こうと思っています。

聖書の中にも、十戒にも「あなたの父と母を敬え」とあります。

敬う事が難しく感じる親も世にいると思います。

しかし、これは聖書に「あなたが幸せに生きる為にしなさい」と書かれています。

私が幸せに生きる為に・・です。(1つでも感謝出来る事が見つかる事を願います。)

今日も、親孝行しながら主と共に生きて行けますように!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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