主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
詩篇34:8
小学校で同級生だった友達から連絡がありました。
「久しぶり!そろそろ、私たち会うべきじゃない?(笑)」と。
そして友達のお母さんも会いたいと言ってくれてたようで、彼女の実家に行く事になりました。
数年ぶりに会ったのに、会った瞬間から、ずっと会ってたかのように話が尽きることなく続きました。
そして途中、彼女のお母さんが「〇〇ちゃん(私のこと)、このトマト食べて見て!」とミニトマトを出してくれました。
お皿が2つ。
母「どっちのトマト食べて見たい?」と聞くのです。
私「えーーどっちって・・何か違うんですか? 2つとも、美味しそうな綺麗なトマト・・」
母「両方食べて見て(笑)」
左のお皿のトマトを食べると、普通に美味しい。
右のトマトを食べると、凄く甘くてビックリ・・・
私「えーー味が全然ちがう!! どうしてこんなに甘いの??」と聞くと、
右のトマトは無農薬で、完熟してから収穫していたのです。
左のトマトはスーパーのトマト。同じように赤いですが、冷蔵庫で赤く熟したのです。
母「見た目には分からないけれど、右のは無農薬で栄養価も高く甘い。全然違うよね~」と言われました。
確かに・・見ただけでは「どっちが無農薬だと思う?」「どっちが甘いと思う?」と聞かれても、同じように見えて違いが分からないのです。
思わず「聖書も同じですよー」
「お母さんは、キリスト教やクリスチャン、聖書は良い物だと思われてますよね? でもそれはお母さんは見た目だけですよ。味わってみないと本当の良さは分からないですよ・・」
「美味しそう・・と思ってるのと、食べてみるのとは違う。お母さん、食べて見たらいいのに・・」と言うと・・
お母さんが「〇〇ちゃん、上手だね~(笑)」と笑っていました。( ← 教会に誘うのが上手いという意味)
そんな会話をしながら、
私は人に、聖書を味わってみて!と言いながら・・
私は十分に今日、主を味わっただろうか。
昨日、味わい、「美味しかったな~」となっていないだろうか。
もしくはずっと前に味わった経験を思い出し「本当に美味しかった!」と余韻に浸っていないだろうか。
また、あの時味わったのが1番美味しかった!(あの時が1番恵まれてた)と、なっていないでしょうか?
今日も、昔と変わらず御言葉を食べ、
今日も十分味わう事が出来るのに。
主が与えてくれる味は、沢山あるはず。
私が知らない、食べた事がない、経験した事がない味がまだまだあるはず・・
確かに、時には過去の経験が自分を支える時があります。
もしかしたら今、自分を取り巻く環境に目も心も奪ばわれ、倒れそうになっているけど、
「確かにあの時、主は私と共に居られたし、私を助けて下さる主」という経験が、自分や自分の隣人を支える事も多いです。
ならば、一層普段から主を十分に味わい、有事に備える事も必要。
食べた人の感想や情報を聞くのも大切です。
そのような味もあるのか!(主はそのようにも働かれるのか)
毎日の食べ方(デボーション)
味の感想(主がどういったお方なのか言葉として整理する)
などを得る事は有益です。
しかし一番大切なのは、自分が食べ、味わい、自分の栄養として吸収する・・
キリストが素晴らしい神さまであると知っていたとしても、自分が味わわないと救いも自分の物にはならないのです。
今日も、主を味わいましょう!
主をもっと知る1日となりますように!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」