そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」
彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」
彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」
創世記15:5-8
教会の人で、「自分は本当にイエスさまを信仰出来ているのか、信じているのか自信がない」と言われる方がいらっしゃいます。
目に見えるものが全てではない・・と分かっていながらも、
信仰って揺れますよね。
凄く主に満たされて「神さまさえいれば、もう何もいらない・・」と感謝に満たされる時もあれば、
「あれ?神さま・・いない? 今まで感じていたのは・・勘違い?」と思ってしまう瞬間は誰もが経験した事があると思います。
もっと揺れ動かない信仰が欲しい・・!って思いますよね。
私もそう思います。
どのような状態に置かれても、揺れ動かない信仰が欲しい。
常に主に満たされていると感じる信仰が欲しい。
上がったり下がったりしないで欲しい・・
創世記を見ると「アブラハムの契約」と言うのがあります。
1. 土地の約束(創世記12:1)
2. 子孫の約束(創世記12:2)
3. 祝福と贖いの約束(創世記12:3)
これは、主がアブラハムに「無条件」に与えられた約束なのです。
アブラハムは、神に選ばれた民、イスラエル(ユダヤ人)の始祖です。
アブラハムと聞いて思い出すのは、自分の子どもイサクを主に捧げた話を思い出します。
本当に主を信じていないと、出来ないことです。
主は、アブラハムに無条件の約束をされたのです。
無条件の約束、「アブラハムの契約」とは、条件がないということです。必ず与えるという約束なのです。
土地、子孫、そして、神はアブラハムを祝福し、彼を通して地上のすべての家族を祝福すると約束、この3つの祝福を主は約束されました。
アブラハムも妻のサラも、かなりの高齢でした。
しかし、アブラハムは主が子どもを与え、その子どもから子孫が星の数ほど与えられると、信じたのです。
「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた(創世記15:6)」
主に「よし!」と認められるほど、アブラハムはその子孫の約束を信じたのです。
流石、アブラハム・・信仰が強い・・完全に主を信頼している・・と思えますが。
8節を見ると、
「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」と言っています。
アブラハムは、信じながらも疑っているのです。
疑いながら信じているのです。
アブラハムは、現代を生きる私たちよりも、主からの語りかけを聞けたり・・もっと主と近い関係を持てていました。
アブラハムは主に「信仰の父」と呼ばれた人物です。
しかしそれは、アブラハムの信仰が「完璧だ」という意味ではないのです。
アブラハムも何度も失敗をしています。
エジプトに入ろうとした時、美人なサラが自分の妻だと分かると、サラを奪う為に自分は殺されるかもしれない・・という不安と恐怖を覚え、
サラを、妹だと言いました。
エジプトの王はそれを信じ、サラを側室として迎えた場合、サラも王も罪を犯す可能性があるのに・・
自分の不安と恐怖に勝てず、嘘をついたのです。
また、アブラハムは同じ嘘をもう一度ついています。ゲラルという地の王様に。
アブラハムの信仰は素晴らしい面を持ちながらも、完璧ではなかったのです。
私たちは皆、アブラハムの子孫です。
「完璧な信仰」というのは存在しないのかもしれません・・・
信仰は「選択の繰り返し」だと思います。
失敗、悔い改めを繰り返しながらも、主を選択していく。
主の言葉に従う人生を目指す。
その様に歩むものだと思います。
信仰が揺れ動かされながらも、主を選択する人生を歩みたい・・
アブラハムは失敗を通して、信仰がさらに強められたように、私たちも失敗や疑いを経験しながら、信仰を強めていけばいいのです。
今日も、主を選択する一日をお過ごしください!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」