信仰が揺れ動いていませんか?【創世記15:5-8】

2023年

そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」

彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」

彼は申し上げた。「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」

創世記15:5-8

教会の人で、「自分は本当にイエスさまを信仰出来ているのか、信じているのか自信がない」と言われる方がいらっしゃいます。

目に見えるものが全てではない・・と分かっていながらも、

信仰って揺れますよね。

凄く主に満たされて「神さまさえいれば、もう何もいらない・・」と感謝に満たされる時もあれば、

「あれ?神さま・・いない? 今まで感じていたのは・・勘違い?」と思ってしまう瞬間は誰もが経験した事があると思います。

もっと揺れ動かない信仰が欲しい・・!って思いますよね。

私もそう思います。

どのような状態に置かれても、揺れ動かない信仰が欲しい。

常に主に満たされていると感じる信仰が欲しい。

上がったり下がったりしないで欲しい・・

創世記を見ると「アブラハムの契約」と言うのがあります。

1. 土地の約束(創世記12:1)

2. 子孫の約束(創世記12:2)

3. 祝福と贖いの約束(創世記12:3)

これは、主がアブラハムに「無条件」に与えられた約束なのです。

アブラハムは、神に選ばれた民、イスラエル(ユダヤ人)の始祖です。

アブラハムと聞いて思い出すのは、自分の子どもイサクを主に捧げた話を思い出します。

本当に主を信じていないと、出来ないことです。

主は、アブラハムに無条件の約束をされたのです。

無条件の約束、「アブラハムの契約」とは、条件がないということです。必ず与えるという約束なのです。

土地、子孫、そして、神はアブラハムを祝福し、彼を通して地上のすべての家族を祝福すると約束、この3つの祝福を主は約束されました。

アブラハムも妻のサラも、かなりの高齢でした。

しかし、アブラハムは主が子どもを与え、その子どもから子孫が星の数ほど与えられると、信じたのです。

「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた(創世記15:6)」

主に「よし!」と認められるほど、アブラハムはその子孫の約束を信じたのです。

流石、アブラハム・・信仰が強い・・完全に主を信頼している・・と思えますが。

8節を見ると、

「神、主よ。それが私の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。」と言っています。

アブラハムは、信じながらも疑っているのです。

疑いながら信じているのです。

アブラハムは、現代を生きる私たちよりも、主からの語りかけを聞けたり・・もっと主と近い関係を持てていました。

アブラハムは主に「信仰の父」と呼ばれた人物です。

しかしそれは、アブラハムの信仰が「完璧だ」という意味ではないのです。

アブラハムも何度も失敗をしています。

エジプトに入ろうとした時、美人なサラが自分の妻だと分かると、サラを奪う為に自分は殺されるかもしれない・・という不安と恐怖を覚え、

サラを、妹だと言いました。

エジプトの王はそれを信じ、サラを側室として迎えた場合、サラも王も罪を犯す可能性があるのに・・

自分の不安と恐怖に勝てず、嘘をついたのです。

また、アブラハムは同じ嘘をもう一度ついています。ゲラルという地の王様に。

アブラハムの信仰は素晴らしい面を持ちながらも、完璧ではなかったのです。

私たちは皆、アブラハムの子孫です。

「完璧な信仰」というのは存在しないのかもしれません・・・

信仰は「選択の繰り返し」だと思います。

失敗、悔い改めを繰り返しながらも、主を選択していく。

主の言葉に従う人生を目指す。

その様に歩むものだと思います。

信仰が揺れ動かされながらも、主を選択する人生を歩みたい・・

アブラハムは失敗を通して、信仰がさらに強められたように、私たちも失敗や疑いを経験しながら、信仰を強めていけばいいのです。

今日も、主を選択する一日をお過ごしください!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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