わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
マタイ11:29
春休みに韓国に行った時に、韓国にいる長男が友達を紹介してくれました。
普段から長男から話を聞いている友達です。
その内1人は、両親の仕事で幼い時インドに住んでいたそうです。中学の時はスペインに。今両親はオーストラリアに住んでおり、本人はアメリカに留学中。
兵役を済ませる為に韓国に来ているそうです。
「何ヶ国語出来るの?」と聞いたら、「完璧に出来るのは、韓国語、英語、スペイン語です」というのです。
「凄いね~~」と驚くと、他の友達も声を揃えて「今の韓国では、三か国語出来てもスペック(能力)が高いと思われない!」と言うのです💦
韓国は学歴社会・・
「人と比べて何が出来るか」
「どんなスペックを持っているか」が重要なのです。
この春から次男は高校一年生になりました。
次男は韓国系の学校に通っています。
今月、高校の入学式があったのに、もう大学進学説明会が立て続けにあります。
次男は日本で進学を考えていますが、私は一応、韓国の大学も知っておこうと説明会に参加しました。
韓国も少子化が進んでおり大学側も学生集めに必死です。
数年前に長男の為に聞いた韓国の大学のシステムとは数段違いがあります。
ため息が出るほど魅力的な大学のシステム・・
そして、また違った意味のため息が出るスペックを受験者に求めてくるのです。
家に帰ると夫が「説明会どうだった?」と聞くので「学歴、スペック、TOEIC、世界に通用する、世界で活躍するという単語が何度も出てくる説明会だった」
そんな事を思いながら、イエスさまはどうだったんだろう、と考えました。
神の子でありながら馬小屋で生まれ、
上流階級の人々と付き合うのではなく、貧しい者、虐げられる者、病の者、やもめ、嫌われている者、罪人の中に入って行きました。
イエスさまの周りには常に弱者が居たのです。
イエスさまは、弟子たちの足を洗われました。(しもべがする仕事)
エルサレム神殿に入城する時は、軍事的な勝利を意味する馬ではなく、平和的な意味を持つロバに乗られました。(馬は王の凱旋を象徴)
イエスさまは、神の子として栄光に輝く存在であったにも拘らず、人間としてこの世に来られ、常に謙虚で低い姿勢で人々に接せられ、人に仕える姿でした。
人よりも上を目指す私たち。
人よりも下へと下るイエスさま。
主はご自分の人生を通して、生きる姿を示されました。・・「私のように生きなさい」と言われています。
貧しく生きなさいとは言われていません。
イエスさまは生涯「神の子」でした。
「神の子」という立場を捨てる事はされませんでした。
「神の子」という立場を持ったまま人に仕えられたのです。
私たちも自分に与えられた仕事や地位、財産、名誉・・これらを持つなとは言われていません。
互いに愛し合い、愛を持って仕え合い生きて行くことを望まれています。
本能のように持ってしまっている「承認欲求」
今日は立ち止まり、上ばかり見上げて生きていないか、下を見れているか、心を探る一日をお過ごしください!