愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
ローマ12:19
以前にも書いたことがあるのですが、(2022.11.16~17)
今日は、ちょっと重い話です。
心の傷と解放が必要な方だけ読んでください。。
私は、子どもの頃に心に大きな傷を受けました。
どのようにして、心の傷が癒されていったかを書きました。(時間がある方は読んでください)
私は小学校低学年の時です。そこから私は相手に対して、ひどい憎しみを持ち続けました。
そして幼い私は、相手に仕返しをする日を定め、耐えたのです。
心の傷は、悲しい・・という気持ちだけが生じるのではなく、生きている意味を奪い、自分の価値観を曲げ、体調を崩させました。
中学生になった時から、片頭痛が1週間に6~7日程起こり、今の様に片頭痛の薬がない時代でした。普通の頭痛薬では効かないのです。
毎日夕方になれば、割れるような頭痛が頭の左半分だけ起こりました。泣いて寝るしかないのです。痛くて寝れません。毎晩、泣き疲れて寝るのです。
色々なあらゆる病院に通いました。(長血を患っていた女の人の気持ちがわかる・・)
これが高校2年の終わりまで、5年間続きました。
体調以外にも大きな影響を受けました。
私が傷つき、恨みを持ち始めた小学生の時から、毎晩、決まったパターンの夢を見るのです。
友達と楽しく遊んでいる夢です。夢の中で「すっごく楽しい~!」と感じた瞬間、ふと友達を見ると、私を殺そうと追いかけてくるのです。「あぁ・・もうダメだ・・死ぬ・・」と思った瞬間に目が覚めるのです。
この様な夢を毎晩見ました。15年間続きました。
始めは、(自分が幼かったので)友達とかくれんぼしていて、友達が豹変する・・そのようなパターンでしたが、段々と私の成長と共に、パターンは同じですが、ストーリーの規模が大きくなっていきました。
成人してからは、友達と海外旅行に行き(夢の中で)「すっごく楽しい!!」と感じた瞬間、友達だけでなく、私はその国で指名手配になっており、パトカーが何台も何台もサイレンを鳴らしながら私を探し回り、ヘリも何台も飛び、私を探していました。
国を挙げて、その国の方々も私を探し出し殺そうとするのです。
私は夢の中で、毎回必死に逃げ回っていました。
こんな夢をずっと見続け、、、寝るのが怖かったし、自分は喜んではいけない・・喜んだら怖い事が起こる・・と思っていました。
この悪夢から、どのように解放されたのか・・
2022.11.17のブログに書いた通り、
「憎むべき相手を許す」と決めた時からです。もちろん、心から許す事なんて出来ません。
ただ「相手を許す」という決断だけをしたのです。復讐は主のもので、私がする事ではないという事が分かったからです。
私は、相手が私と同じ深さで、同じ長さの分(時間)だけ苦しむなら相手を許す!と思って生きてきました。
しかし主は、相手も私と同じだけ同じ深さと長さを持って、もう既に苦しんだと示されたのです。
私は本当に相手が苦しんだのか分かりませんでした。
しかし、私は主に勝てない・・主は私の遥か上の答えを持っておられる方であると感じ、私は主に対して盾をつくことが出来ないと感じました。
相手の事は主に委ね・・「許すという決断」だけをしました。
この時から、心の癒しが始まりました。同時に、悪夢からも解放されました。
この決断をしてから、一度もこの様な夢を見なくなりました。
暗く重い話しですみません・・💦
2ヶ月ほど前から、癒しと解放を受けて欲しいと思う方が居り、祈っています。
私はこの方のとりなしの祈りをする前は、
自分が体調が悪くなったり悪夢を見たのは、自分の心に傷があるからだと思っていました。
心の傷が、原因で体調を崩し悪夢を見ると思っていたのです。(もちろん、それも全く関係ないとは言えませんが・・・)
とりなしの祈りをする中で、本当に最近、気付かされたことがあります。
心の傷の癒しが始まったのは、自分が相手を許した時からだと思います。(その渦中では分かっていませんでしたが、後に俯瞰して振り返って見ると・・)
私が傷つき憎んでいる年月、憎んでる相手の霊も、同じ深さ同じ長さ苦しんだのです。
相手を先に解放することにより、自分も解放されていったのです。
そして、何を気付いたかと言うと・・
私は心の傷が原因で、体調が悪くなり悪夢を見たのではないという事です。
体調が悪くなったり、悪夢を見た原因は、心の傷ではなく、私に「憎む心」があったからです。
私の心には、大きな憎しみが王座に座っていました。
憎む事を、生きる力としていたと気付かされたのです。仕返しを目標に、耐えて生きて来たのです。
とりなしの祈りをする中で、内なる声(心の中で言葉が響く感じ・・)が教えて下さったのです。
主の癒しとは本当に偉大です。
私は自分の心の傷を覚えています。苦しんだことも記憶しています。
しかし今、思い出しても涙は出ませんし、心も痛みも感じません。単なる「過去の記憶」の1つとなっています。
私が憎んだ相手の人に謝罪をしてもらった訳ではないのですが、今では普通に会い、穏やかに話もできますし、相手が困っている時は助ける事も自然と出来ます。
これは、無理をしている訳ではなく・・
主の癒しと解放を経験し、心の傷を通して、私が大きく恵みを体験出来たからだと思います。心の傷は大きかったですが、それ以上の恵みを頂けたからだと思います。
私が経験した傷は、相手があり始まりましたが、それらも主が許されたので私が経験したのです。
この傷の経験は、単なる災難や運が悪かったのではなく、主の計画の一部だったと今は感じています。(これは、何年も経ってから分かった事です)
この傷を通して主の恵みは、まだ続いています。
とりなしの祈りを通して、私は主に、また新たな事を教えて頂いているのです。
私は、本当に主に愛され、私に特別な人生を与えて下さっている。恵みを与え続けれていると思います。
自分を苦しめた人を許すというのは簡単ではありません。
しかし、私は自分の経験から思う事は、憎しみを手放し、「許す」という決断だけをして欲しいです。
自分の心の王座に憎しみを座らせ、憎しみを通して人を見る事、自分の人生を見る事は、主は喜ばれていないからです。
心の王座は、主が座るべき場所です。
被害を受けた人が先に許すとは・・本当に、主と私たちの常識は大きく違います。
大きな苦しみの中にある方・・
憎しみや復讐を主に委ね、手放して解放される事を願います。
今日も、主を求め、主に委ねるという選択が出来ますように!