なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。
彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れます。
詩篇84:5-7
昨日のブログで次男の信仰の記録を書きました。
その中で「悲しく涙がでる祝福」があると書きました。
今日はそれについて、書きたいと思います。
私の母親の話です。私がクリスチャンとして一番尊敬している人です。
凄く元気でいつもニコニコし、誰に対しても凄く親切でした。困った人を見つけては身を削るように助けの手を差し出す人でした。
家の近くに教会はありましたが、厳格な父のもと、教会には自由に行けませんでした。礼拝に行けてもメッセージの時間に合わせそっと入り、メッセージが終わると同時に教会を出て、急いで家に帰る‥という状態でした。(他の人には迷惑ですが、母にとって礼拝にでるという選択はこれしかなかったのです)
両親は自営業でしたので、母親は主婦業と仕事があり、毎日大忙しでした。母親は常にウォークマンで説教を聞きながら洗濯や掃除、料理をこなしていました。
そして、父親が配達で家を出た瞬間に、私たち子ども4人を集め、家庭礼拝をしてくれていました。
しかし子どもの成長と共に、長男から順に、家庭礼拝に参加しなくなります。一人抜け、また一人抜け、最後は母親一人で何年も家庭礼拝を守りました。
1人で泣きながら祈っている姿をよく見ました。いつも祈っているのは、自分の祈りではなく、とりなしの祈りばかりでした。
日中は教会に行けないので、朝早く静かに家を出て、1人で早天礼拝をしていました。
私の母親は、12年前に交通事故で亡くなりました。身体は無傷でしたが頭だけ強打し、家族も分からない状態で4ヶ月入院し、天に召されました。
私にとって、母を亡くした事に大きな喪失感がありました。何をしていても悲しさから離れられず、私には小さい子どもが与えられているのに、母の元に行きたい・・と思ってしまう状態でした。
母親を思い出しては、無意識で涙が流れました。とても苦しい時間を過ごしました。
「神さま、私がこんなに苦しく寂しい思いになるのをご存知で・・どうして母親を連れて行かれたのでしょうか・・」何度も祈りました。
母を亡くして7年経って、やっとわかった事があります。
この辛く悲しい涙は「祝福の証」だという事です。
7年間、同じ思いで苦しかったのです。少しづつ苦しさや悲しさが薄れていくという事がありませんでした。
何をしても悲しく恋しく、涙が流れるのです。
こんなにも母親を愛する事が出来た。
こんなにも母親を尊敬する事が出来た。
こんなに素晴らしい母親から私は生まれ、育ててもらえた。
そして母親の祈りがあり信仰を継承する事ができた・・・
そう思ったら、7年間変わらず心を痛めれるのは、主が私にそのような母親を与えて下さったからです。
心の痛みは、「主が私に大いなる祝福を下さった証拠」だと気付いたのです。
私にとって「涙は祝福の証拠」なのです。
12年経った今でも、母親を思い出すと涙がでます。
しかし、以前と違うのは、泣ける事に感謝を感じます。主が私に大きな祝福を下さったという証拠を感じる事が出来るからです。
この事を主に教えられるまでは、主の祝福 = HAPPY だと思っていました。
幸せや満たされる・・と言ったものだと思っていました。
これに気付いてから、「悲しく感じる祝福がある」という事に目が行くようになりました。
長男が韓国の大学に留学したのはコロナが始まった年です。いつでも行ける国だと思っていたのに、渡韓出来なくなりました。
韓国に行って、1年半経った時に「軍隊に入る前に一度日本に帰りたい」と言い、隔離が必要な時期でしたが帰国しました。(国民の義務で兵役が1年半あります)
2週間自宅で隔離しその後の2日間は日本の友達に会い、また韓国へ。
空港まで送りました。別れ際に長男が、
「こんな事を言ったらお母さんに申し訳ないんだけど・・」と言い出し、
「実は、日本に帰るって決めた時は、やっと日本に帰れる!と凄く喜びに満たされたんだけど。日本に帰る日が近づくにつれて、日本に帰りたくない・・・韓国の友達たちと離れたくない・・と凄く寂しい思いになった・・・
でも今は、日本を離れたくないと思ってる。なんか心がしんどい。これからもこんな思いを何度も繰り返さないと行けないのかと思ったら、余計にしんどく悲しくなる。」と言いました。
この長男の言葉を聞いて、私は「主よ。本当に感謝します。長男を祝福して下さって本当に感謝します。」と心の中で祈りました。
長男に、「そっか~! 良かった! 今、悲しくてしんどいだろうし・・・苦しいだろうけど。これは主の祝福だよ! 今、スッゴク大きな祝福を貰ってるんだよ。
今いる所から離れたくないと思えるって事は、日本にも韓国にも自分の居場所があるってこと! 離れたくないと思える程、自分も友達を愛してるし、愛されてるって事!
凄い!! 主の祝福は、笑ってHAPPY~と感じる祝福だけじゃなくって、悲しく感じる祝福もあるんだよ!
苦しい!って思わずに、”両方に居場所を与えて下さって感謝します”と思って見て。もしくは、他の色々な国にも沢山の居場所を与えて下さい!って祈ってみて(笑)」と話しました。
・・・私たちが日常で悲しく感じ涙する事があっても、本当は主の祝福かもしれません!
主の祝福だと分かったら、悲しさが単なる悲しさではなくなります。悲しさと嬉しさが入り混じったものに変わり、悲しみを与えて下さった事に感謝出来るようになります!
「祝福の悲しみ」・・ありますよ!!
是非、探してみてください。スッゴク恵まれます!
今日も、主の御手の中で一日をお過ごしください!