自分で自分を裁かない【Ⅰコリント4:1-5】

2022年

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。

私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。

ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。

Ⅰコリント4:1-5

私は、自分の中の罪や良くない思考がある事に、「時々」気付きます。

「あ~また同じことを繰り返してる」と、時々示され、悔い改め・・を繰り返します。

しかし、私の知り合いに、すごく敏感にそれに気付く人がいます。

凄く敏感に気付く上、私より深刻に自分の間違えに苦しむのです。

「どうしてこんなに罪深いんだろう」

「また私は主を悲しませている」

「どうして罪を繰り返すんだろう」

その様な思いが、日々の生活でよく起こり、信仰生活が苦しいのです。

そして「自分は神さまを信じれていないのかもしれない」となってしまうのです。

私は、彼女に信仰はあると思います。自分の思考や行動が、主を悲しませていると感じ、心をすごく痛めるのです。

それに比べ、私が彼女のように「同じことを繰り返し、主を悲しませている」と感じても、彼女に比べ悔い改めが軽い気がします。

私は「あー--💦 主よ!! 私はまたしても同じ事を繰り返してました・・・ ごめんなさい~~💦 主を悲しませる事を、またまたしてしまっています。ホントに私って・・💦」という感じです。

私と彼女の差はなんだろう・・・

私が心底、悔い改めが出来ていないのか・・主を軽く見過ぎてるのか・・

2人で、この差はなんだろうと話をしました。

そして2人で気付いたことは。

彼女は真面目で頑張り屋さんなのです。「正しく生きよう!」という思いが強いのです。

もちろん、私も正しく生きようと思っています。

しかし、その思いが強く、自分に良くないものがあると分かると敏感にセンサーが作動するのです。

その分、落ち込みも激しいのです。

自分に罪がある事に気付くのは良い事で、悔い改める事も大切な事。でも、そこからどうして、彼女は「自分には信仰がないのでは・・?」と思うのかが、私には少し不思議でした。

大切なのは、信仰を最後まで持ち続ける事。

話す中で、彼女の中に「自分はそんなことをする人でない」という思いがある事に気付きました。

彼女は信仰を持つ前から、正しく生きようと努力をしてきた人です。間違ったことをしている自分が嫌なのです。自分はもっと正しく生きていけるはずだと思っているのです。

反対に私は「私は間違えるもの」と思っています。

そこで思ったのが、

正しさを求め生きて行く事は良い事だけれど、

どのようにして「正しい」と判断するかという基準が問題なのです。

私も正しく生きようと心掛けています。でも結果的には正しくない事に気付いて悔い改めるのです。

自分の目に正しいと思って生きていても、実は主の目には正しくない事が多いのです。

自分の「物事を判断する基準」は正しくない事が多いのです。

そこで分かりました。

彼女は自分の目で判断し努力していたのです。

正しいと思ってたけど、あれ?正しくなかったんだ💦 と思えば進行方向を変えればいいのです。

小さい子どもと同じです。

別に悪い事をしよう・・なんていう思いもなく、考えもなくしている事を、親が「それは良くない事だよ」と教える事によって、「そうなんだ!これは良くない事なのか。もっとこうしないとダメなのか」という事を学んで成長します。

私たちは、神の子です。

善悪を主から学びながら生きて行くのです。

自分の目に正しいと思う事を選択して生きて行き、「ちがうよ」と言われたら、立ち止まってもう一度、選択をし直せばいいのです。

子どもの様に謝ればいいのです。

天の父は、温かい目で見ておられると思います。私たちが幼子を見るように。

大事なのは、誤りを感じた時に素直に方向転換するかどうかの方が大切だと思います。

旧約聖書に出てくる、カインとアベル。カインの捧げものを主は喜ばれませんでした。正しいものではなかったからです。

カインは主に指摘され、憤り顔を伏せました。誤りの指摘に対して反発したのです。

結果、弟のアベルを殺すという人類初の殺人をしてしまったのです。

片意地を貼って自分の思うように突き進み、父の話に耳を傾けない方が、主を悲しませるように感じます。

結果的に、幼子のように、もっと主に甘えていいのではないか?となりました。

私は甘え上手?甘えすぎなのかもしれません(笑)

なぜなら、私に間違いを指摘する主のイメージは・・・基本的に、今日の上の画像のような感じです(笑) (時々、すごく叱られる時もありますが💦)

今日も、主に善悪を習う一日となりますように!

素直に聞き従う一日となりますように!

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