神さまって本当に存在するのか【出エジプト8:14a】

2022年

 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」

出エジプト3:14a

「アリの巣観察キット」って知っていますか?

先日、必要品を買おうとAmazonを開いたら画面に、「アリの巣観察キット」が表示されました。

長男が小学低学年の時に、自由研究で使ったことがあります。「懐かしい・・」と思いクリックし、当時アリを観察していた頃を思い出しました。

アクリルの容器に入っており、土の代わりに水色のジェルや、専用の砂を入れます。そしてアリがどの様に巣を作っていくかを観察するのです。

長男が毎日、専用のエサをあげました。10匹ぐらいのアリが、どの様に生活しているのかを一目で見れるのです。

長男は、凄くワクワクして観察していました。「アリさん~ご飯だよ~」と言いながらアリの巣にエサを入れますが、アリはなかなかご飯に気付きません。

そうなると長男は「こっち!」「ご飯は、もっとこっち!」「まだ残ってる~」と必死になり、喜んだり「あ~もう!」と残念がったり・・

その姿を見て「神さまと同じ・・」と思い、

「どうしたらアリに、ご飯の場所を教えてあげれると思う?」と聞くと、「えー、アリに人間の言葉を教える・・か、自分がアリの言葉を覚える・・・無理だから・・毎日同じ時間に同じ場所にご飯を置く?」

長男に「アリとあなたって、人間と神さまみたいじゃない?」と言いました。

「あなたが良かれと思ってアリに”こっちだよ!”と教えてあげても、アリは分かっていない。人間の言葉が分からないから。もともとが、アリと人間だから。

もしも、あなたがアリになる事ができたら、アリたちにご飯の場所と時間を教えてあげれるのにね。でもアリは人間になれないし、あなたもアリにはなれない。だから、イエスさまは人間になってこの世に来てくれて、”イエスさまが本当の神さまだよ” ”救いはこっちだよ” ”あなたは神さまに愛されているんだよ”って人間が分かる言葉で、教えに来てくれたんだよ。」と話したのを思い出しました。

今、もう一度そのアリの巣観察キットを見ながら、

アリは長男の大きな声を、アリが生きて行く為に必要なご飯を教えてくれる、親切な愛の声ではなく、恐ろしい雷のような大きな音だと感じていたかも。と思い、

そしたら、私たちも主からの「愛の教えや導き」を、「艱難や苦難」として感じてしまっているかもしれないと思いました。

アリは私たちが大きな声で語りかけても、私たちの存在さえも気付いていないと思います。

アリにとっては、私たちの存在は無いに等しいかもしれません。

仮にアリが、私たちの存在を認めなかっても、私たちは確かに存在します。

アリがどう思うか、どう感じるかが真実ではなく、アリがどの様に思おうと、私たちは存在するという事が真実なのです。

神さまも同じです。

私たちは、主を信じると言いながら、自分の状況や心情に気持ちが左右され、「主を感じない」「主は遠くに行かれた」「主は本当に私と共に居られるのか」・・・と、その様な考えが頭を過ぎる事があります。

また、ノンクリスチャンの、「神なんていない」「目に見えないものは信じない」「理解できない」「感じない」「論理的では無い」などという理由で、神さまの存在を消す事は出来ないのです。

『理解出来ない』=『存在しない』とは、成り立たないのです。

また、私と長男が、一目で10匹以上のアリを一目見て、活発で元気なアリと、あまり仕事をしないアリを見分ける事が出来たように、神さまも沢山の人間を一度に見る事が出来るのです。

私たちが見ていたアクリルの箱は、神さまにとっては地球かも・・と思いました。

人間はアリよりも高い存在です。

そして、神さまは人間よりも高い存在なのです。私たちに理解できない事があって当たり前なのです。

反対に、理解できない事柄がない方がおかしいと思います。

私たちに全て理解できる水準の神様って、反対にレベル低いですよね(笑)

アリには想像も出来ない人間の世界があるように、私たちには、理解し得ない神さまと言う世界があるのです。

私たちが想像も出来ない世界や考えが、本当はすぐそこに、私たちの隣に存在しているかもしれないのです。

アリが「人間? そんなもの存在する? 人間がいるならそれを証明してみろ!」と言っているのと同じです。

アリと人間はあまりにも違います。アリには理解できないのです。

神さまと私たちも、余りにも違うのです。理解できないのです。

だから、人としてイエス・キリストが誕生されたのです!

12月に入り、アドベントです!

イエスさまの誕生を、もう一度感謝する一日にしたいです。

今日も、主の恵みの中、平安な一日をお過ごしください!

 

PS, 言葉の通じないアリに、毎日同じ時間、同じ場所にエサを置けば、「ご飯はココ!」と記憶したかもしれません。

それと同じで、私たちも毎日、聖書を読んで(出来たら一日の始め)、主の存在を忘れないようにするのが良いと思います!

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