私たちは一つになれるのか【ヨハネ17:21a】

2022年

父よ。あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、全ての人を一つにして下さい。

ヨハネ17:21a

今日の御言葉・・・難しいですよね~

人それぞれ、考え方も違うし、育った環境、出会った人、生き方、受けた傷・・

同じクリスチャンでも、考え方、意見や思いが合わない事は多々あります。

忘れられない位、凄く驚いた話があります。

Youth With A Missionというキリスト教の宣教団体があります。そこで弟子訓練を半年受けたことがあります。

この弟子訓練は「内的治癒」の時間があります。今までの人生を振り返り、心の傷を主に照らしてもらい癒してもらうのです。その授業の一番初めにしたことが、自己紹介。そしてその自己紹介の中に、

今まで生きてきた人生で「一番嬉しかったこと」と「一番悲しかったこと」を順番に分かち合っていくというのがありました。

一番嬉しかったことを話す時は、皆笑顔で話せるのですが、一番悲しかったことを話す時は、自分が一番傷ついた話になるので、皆号泣しながら話していました。

この時間で驚いた事があったのです。

この中に兄弟がいました。お姉さんと弟くんです。お姉さんの一番悲しかったことは、お父さんが亡くなった日だと話しました。

全てが上手く行っていた家庭環境ではなかったようです。両親からも色々な傷も受けており、最後まで分かち合えなかった。もっと愛されたかったし、愛したかった。それがもう叶わなくなった日が、一番悲しい日となったと話していました。

そして、次に弟くんの順番が回ってきました。弟くんは「僕の一番嬉しかったことは・・・」と言葉を詰まらせました。そして「父親が亡くなった日」だったと言うのです。

「父親が亡くなった日は、自分が解放された日」だと言いました。そして堰(せき)を切った様に話し始めました。

どうしても父親の暴力から逃れる事が出来ず、幼い時からの暴力や押さえつけられた日々から解放され、自分の待ちにまった日。今までの人生で一番嬉しい日だと言っていました。

この兄弟は同じように父親から傷付けられました。父親が亡くなった日が、お姉さんにとって「人生で一番悲しい日」であり、弟くんにとっては「一番嬉しい日」だったのです。

一番似た環境で育って来た兄弟でさえ、真逆な思いを持っていたのです。

人間って難しい・・・複雑なんだと改めて感じた瞬間でした・・💦

2人兄弟でさえ、同じ出来事で思いが一致しない・・・一致しないだけでなく、真逆。

なら尚更、もっと環境が違い、生きてきた人生が違う人たちの思いって一致できるのでしょうか。

ヨハネの17章は、何度も「一つ」という単語が出てきます。

今から十字架に向かっているイエスさまが伝えたかった事、私たちが一つとなること。一致する事を望まれたのです。

価値観も、個性も、考え方、感じ方、国籍も違うのです。そう考えたら、気が遠くなり、不可能のように感じます。

今日、この御言葉を読み、あの時出会った兄弟を思い出し、なんて主は難しい事を私たちに望まれたんだろう・・と黙想していました。

そして、もう一つ思い出しました。

『星の王子さま』の著者、サン=テグジュペリの言葉です。

「愛するーお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。」

この名言は、結婚する人によく贈られる言葉です。

でも、私たちクリスチャンにも通ずるものがあると思います。

一人一人は違うけれど、互いを見つめ合い、違いに目奪われるのではなく、私たちは同じキリストを見つめる事が大切なのです。

私たちは皆が同じキリストを見つめ、一つとなり共に祈る事を望まれているのです。

1人でも多くの人が救われるように。

1人でも多くの人が癒されるように。

1人でも多くの人が悔い改め、主のもとに帰って来るように。

この様な主の御心を願う部分では、一致をさせる心が私たちに必要だと思います。

その他の小さなことは(大小の線引きは難しいですが)一致できなくても、

互いに愛し合う事によって、互いを認めていく姿勢があればいいと思います。

信仰に置いて、大きい部分は一致させ、小さい部分は互いに認め合うのです。主の愛を持って。

まず、自分から隣人を愛し認めれるキリスト者となれますように。

今日も、私たちは主を見上げ共に祈っていきましょう!

主の愛に満たされた、良き一日をお過ごしください!

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