「魂の値打ち」って何ですか?【箴言16:1-3】

2022年

人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。

人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

箴言16:1-3

今日の御言葉は、私が求道中に出会った御言葉です。

「うわ・・・・すっごい御言葉💦」と思ったのを覚えています。

当時の私は、もっと仕事がしたい。もっとスキルアップして仕事をして行きたい!と思っている時でした。

私の心の中には計画ばかりでした。でもそれは、人を蹴落としてまで自分がのし上がろうという思いはなく、自分の良心に反しない、自分の中では正しさを持った思いでした。

この御言葉を読んだ時、

「確かに・・自分が綿密に調べ努力しても、結果が思う通りにならない事がある・・・ それは、主が下した答えだったのかな・・ 私は人に指を指されるような事をせず、考えもせず、自分は純粋だと思っている。でもキリスト教の神さまは、魂の値打ちを測るって・・魂の値打ちって何? 私には分からないな、主の価値観💦」

良く分からない「魂の値打ち」という言葉。

でも何となく、公平な感じがしました。

人は皆、基本的に良心に従って正しく生きようとします。しかし、その正しさの基準は「自分の良心」です。

人によって基準が違います。スッゴク自分に厳しい人もいれば、「これぐらい大丈夫。みんな同じ・・」と考える人もいます。

主が基準としておられる「魂の値打ち」、それがどの様なものかは分からないけれど、多分、自分が死んで、主の前に立った時、主の「魂の値打ち」の前では、誰一人として弁明する余地がないように思います。

子どもが小さい時、この様に言われた覚えがあります。

「前は良いって言ったのに・・」

私たちの判断は、その日その日の置かれた立場や、気分、状況によって変わってしまうのです。

また歳を重ねる事によって、考えも変わってきます。

影響を受けた人や物事によっても、私たちの基準は変化していくのです。

時々、この様な話を聞きます。

教会で奥さんだけがクリスチャンで、ご主人は教会に来られない家族がおられます。

「うちの主人は、何度話しても正しく生きてくれないのよ・・」

これは・・・仕方がない事だと思います。

私たちクリスチャンであっても、意見が合わない時があります。判断が違う時があります。トラブルになる時があります。

しかし、私たちは、キリストを基準としよう、聖書を基準として判断しようという心があります。

キリストが心に居ない方には、より頼む基準がなく、また正しく生きる意味も違うと思います。

人に迷惑をかけず、法に触れるような事をせず・・生きればOKだと思っている方が殆どではないでしょうか?

キリストを知らない方が、自分の魂の値打ちを考えることは、まずないと思います。

ですから、世の中には人の数だけ正しさがあるのです。互いに自分が正しいと思っているから戦争が起こるのです・・・

人と主は、かけ離れ過ぎているのです。

自分を基準として生きる事は、不安定であり、不確実であり、危険性があります。

有事がない時は、人の命は尊ばれますが、戦争が起こると、多く人を殺した人が称賛されるのです。
だからこそ、私たちは永遠に変わる事がない聖書の言葉を基準を持つべきなのです。
今日の御言葉の最後にこの様な約束があります。
「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」
今日も、主を基準として一日歩みましょう!!
祝福された一日となりますように・・・
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