神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
Ⅱコリント2:14
8/28に放映された「ライフ・ライン」見られましたか?
小坂忠先生でした。今年の4月29日に天に召されました。
始めて天に召されたと聞いた時、とっても驚き、寂しさと、色んな感情が溢れてきました。
小坂忠先生のオフィシャルサイトを見ると・・・
<訃報>
牧師でありシンガー&ソングライターの小坂忠73歳は
4月29日(金)午前10時43分に地上での生涯を全うし、天に凱旋しました。
生前のご厚情を感謝し謹んでお知らせいたします。
(株)トラ・ミュージック代表取締役 小坂叡華
と書かれています。
「天に凱旋しました」と言う言葉が、心にジーンと響きます。
小坂忠先生は天に凱旋されたんだな・・と思うと、寂しさが和らぎ、「凱旋出来るように最後まで信仰をしっかり持たないと!!」と思わされました。
今日は、小坂忠先生の思い出を2つシェアしたいと思います。
1つ目は、私が先生を知ったのは、まだ求道中の時でした。教会の友達に、「他の教会で”金曜礼拝”って言うのがあるから行かない?」と誘われました。
行ってみると、日曜礼拝とは雰囲気が違い、若い人が中心で集まっており、賛美に恵まれた礼拝でした。そして、説教も週により色々な牧師先生が来られていました。ここでの礼拝は、私にとっては刺激的で、クリスチャンのイメージが肯定的に感じました。
金曜礼拝で初めて小坂忠先生という、シンガーの牧師先生が居られるんだと知りました。一緒に行った友達が「小坂忠先生は有名なシンガーだったんだよ。今は有名な牧師先生」と教えてくれました。
そして数か月後の金曜礼拝の日、30-40分早く着いてしまいました。教会はまだ礼拝の準備中の様で、礼拝堂で待たせてもらう事になりました。
牧師先生が3名居られ、礼拝の準備をされていました。一人は凄く若い方で、後のお二人は30代ぐらい。
そのお二人の牧師先生が「おーい!〇〇~(若い先生の名字)これ、さっさとしろ~」と言った感じで指示を出していました。「〇〇~ 前も言ったよな? こうしたらダメ・・・」「〇〇! こっちも手伝え~」と言ったやり取りをされていました。
あーあの若い先生は、牧師なり立てなのかも・・(笑)と思っていました。決して若い先生をバカにした感じではないのですが、以前から、お知り合いだったのかも・・もしかして教え子が牧師になったのかな?と思っていました。
2人の先生が、若い先生に近寄り、「お前な~ いつになったら覚えるねん~!」と話していると、そこへ小坂先生が入って来られました。教会堂は人が居なかったので、声が響いたと思います。外から来た小坂先生の耳にも会話が聞こえたと思います。
小坂先生が入って来るなり、3人の先生はちょっとシャッキっと立って挨拶。2人の先生は小坂先生と親しいようでした。
小坂先生は、教会堂に入って、まず若い先生に「あー-!〇〇先生!! お疲れ様です! 今日もよろしくお願いします!!」と小坂先生の方から握手をされ、深々と若い先生にお辞儀までされました。
その姿に、お二人の先生も、私もちょっとビックリ・・・「小坂忠先生って、有名な先生って聞いたけど、すっごく謙遜な先生なんだな~」「もし私だったら、”〇〇先生は牧師になられたんだから、呼び捨ては・・・”とかって言いそう・・」と思いました。
何も注意せず、態度で示す姿に感動し、「なんて素晴らしい先生なんだろう!!」と思いました。
もう一つは、
1995年の「阪神淡路大震災」の後です。
何度かボランティアに行きました。初めて行った時、兵庫にある教会に集まり、礼拝を捧げてからボランティアが何をするのか話を聞きました。
その礼拝のメッセージを語ってくれたのが、小坂忠先生でした。
礼拝が終わり、ボランティア活動に出かけました。数時間経って、ボランティアのリーダーが「すみませんが、教会に戻って〇〇を持ってきて欲しいのですが」と私に言われました。
私は一人、教会に戻りました。 そして言われた通り、
礼拝堂の十字架の下に扉を開け、違う部屋に入り、そこから頼まれたものを探すつもりでした。
教会に入るなと、誰も居ないからか薄暗い感じでした。 靴を脱いで一歩入ると、ビックリしました・・・ 何かが違うのです。
「え・・これは何だろう・・」と少し怖さも感じました。 薄暗い礼拝堂の十字架の方へ近づくと、もっと何かが違うのです。神々しさを感じました。
この十字架の反対側に、何か居る・・・ 何だろう・・・ この神々しさは何だろう・・・
私は心の中で「私は天使を見るかもしれない・・・」と思いながら、扉をそっと開けました。
すると、神々しく光っていた所に、小坂忠先生が、打ちひしがれた状態で祈って居られたのです・・・
ビックリしました・・・ 礼拝が終わり、もう何時間も経っているのに、ずっとここに留まり、一人祈って居られたのです。
この時、私は洗礼を受けて半年ほどしか経っていませんでした。
ボランティアを終え、家に帰る道中・・「主は、凄いものを私に見せられた・・ 多分、小坂先生はこの地震の復興を祈って居られただろうし・・ 祈るって凄い・・・ 祈るって”気休め”じゃないんだ・・・ 本気で祈ったら、日本の福音化とか、スッゴイ事を起こせるかも・・・ あの時、あの場所には沢山のボランティアが居てたのに、わざわざ私に教会に戻らせたのは・・・ 主がこれを私に見せる為。祈りってこんなに凄いって教える為・・・ 主よ。私も祈る者になりたいです・・・」
小坂忠先生を通して、2度も主は教えてくれました。
ライフ・ラインを見ながら、天に凱旋され、なお証しのために用いられる小坂忠先生・・・
今頃、主とどんな話をされているんだろう・・
私たちも、いつの日か、天に凱旋できるように・・今日1日を主の中で過ごしましょう!!