年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。
Ⅱサムエル11:1
今日は、あの素晴らしいダビデ王が、どうして罪を犯してしまったのか、考えたいと思います。
ダビデ王は、預言者サムエルから油の注ぎを受けてから、10数年後に、ヘブロンで王となりました。
更に7年半の月日が過ぎ、エルサレムで統一王国の王となったのです。
ダビデは、立派な王、主の器となるまでに長い月日を待ち、過ごしたのです。
ダビデ王は、素晴らしい王でした。
まず、エルサレムを遷都としたのです。
ダビデ王は、南出身です。エルサレムは、北に配慮した場所だったのです。(北と南の丁度中間の町。) また、防衛に恵まれた地形でした。またギオンの泉もあり、水を確保できたのです。
また、ペリシテ人に奪われていた「神の箱」をエルサレムに持ち帰ってきています。
長年戦ってきた、外敵に対してダビデ王は勝利し続けていました。 東・西・北、全てに勝利していたのです。
ダビデ王は、サウル王に命を狙われても、逃げるだけで、自分からは決して主が選ばれた王の命を取ろうとはしませんでした。それだけでなく、サウル王が死んだとき、ダビデは心を凄く痛めています。
そのような人格を持ったダビデ王は、民たちに尊敬され、隣国たちからも、調和を求めてくる状態でした。
この様な素晴らしい、ダビデ王がどうして罪を犯してしまったのでしょうか?
アンモン人との戦いがありました。(10章)アンモン人が、ダビデの送った使者たちに侮辱を加えました。ダビデは、司令官ヨアブと勇士たちの全軍を送り出し、アンモン人とアラム人の連合軍を打ち破りました。
今日の聖書の個所は、
年が改まり(季節が変わり、雪解けし戦いを再開できるようになった)、今度はアンモン人の首都ラバを包囲する戦いに臨んでいるのです。
しかしダビデはこの戦いに出て行かず、エルサレムに留まっていました。
もはや、勝敗の行方は明らかで、出向くまでもなかったのと考えたかもしれません。彼は戦いの全てを、軍の司令官ヨアブに委ねました。
ダビデ王は、今までの戦いは全て出陣しました。先頭に立ち指揮をとっていたのです。しかし、今回は出陣をせず、指揮官ヨアブに任せたのです。
そして、ダビデ王がエルサレムに留まっている間、何が起きたでしょうか?
バテ・シェバの沐浴を見てしまうのです。
ある牧師先生は、これはバテ・シェバからの誘惑だったと言われる方もいらっしゃいます。
誘惑をされたのかどうかは不確かですが、罪を犯してしまったのです。
そして、バテ・シェバは妊娠をし、焦ったダビデ王は、バテ・シェバの夫、ウリヤを戦場の一番前に配置するように指示し、殺したのです。
ダビデ王は、誰にウリヤ殺害の指示を出したでしょうか?
アンモン人の戦いを任せた、軍の司令官ヨアブです。ヨアブは、ダビデ王が信頼を置いている側近です。
司令官ヨアブは、ダビデ王の罪を知っていました。
結果的には、王の罪を知ってしまったヨアブと、自分の汚い罪を知られてしまったダビデ王。
司令官ヨアブは、ダビデ王から心が離れてしまい、王の命令を聞かなくなりました。
ダビデ王は、信頼を失ったのです。
本当にダビデ王は、素晴らしい王であったのに、姦淫の罪を犯してしまった為、その罪を隠すために、更に大きな罪を犯してしまうのです。(ウリヤ殺害)
どうしてこんな事になってしまったのでしょうか?
いつものように、戦いに率先して出陣し指揮をとっていれば、罪を犯さなかったと思います。
ダビデは、このアンモン人との闘い以前は、絶好調でした。
主に祝福され、人々に愛され尊敬され、成功していたのです。
ちょっと、僅かに・・・気を抜いてしまったのではないかと思います。
人々に、隣国に認められ、容易な戦いにわざわざ自分が出陣しなくても・・・という気の緩みではないでしょうか?
イスラエルの王たちは、主に背を向け、偶像礼拝をする悪い指導者(王)が多いです。
しかし、中には良い王として記録されている王もいます。
しかし良き王と記録されている王たちは、始めは主を恐れ、偶像礼拝を無くし、平安な国を統治できていたのに、晩年には信じられない位、悪い王となっている事が多いです。
ダビデの子、ソロモンもそうです。知恵の王様として、隣国から一目置かれ、平安な国を統治出来ていました。 しかし、ソロモンの晩年は、多すぎる外国人の妻たちの偶像を許可し、ソロモンも主から離れてしまったのです。
信仰に気の緩みは禁物です!!
最後の最後まで、しっかり信仰を持ち、人生を終える事が出来るように・・・
今日も、主との交わりを持ち、しっかり主と共に歩む一日としましょう!