わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。
イザヤ43:25
私たちは、自分の罪の記憶が、自分を苦しめます。
「どうしてあんな事を・・・」と思い出す度に思い悩み、自分を責め、自己弁護したり、自己嫌悪を繰り返すのです。
しかし、主を信じ、自らの罪を認めて主に告白し、立ち帰る者に対して、主は赦しを与えておられます。
過去の罪で私たちを責められることはないのです。
それどころか、その罪の記憶さえ捨て去ってくださいます。「わたしはあなたの罪を思い出さない」と明言しておられます。
私たちは、いつまでも自分の罪を記憶し、思い出す度に心を痛める存在です。
主は私たちのそのような者だと理解した上で、「自分の罪に心痛める必要はない。もう私は忘れた」と言われているのです。
単に罪を許すだけでなく、私たちの特性を理解し、アフターフォローまで・・・凄いですよね!
「その責任を問う事はない」と言って下さるのですから!
しかも驚くのは「わたし自身のために」と書かれています。
主はご自身の為に、私たちの罪を許し、忘れて下さっているのです。
どうしてご自身の為なのでしょうか?
主がそれほどまでに私たちを愛してくださっているからです。
私たちは自分の罪も含め、人の罪をも記憶してしまいます。私たちは、記憶を完全に頭から消すことはできません。記憶を完全に消すことができないからこそ、かえって、私たちの罪を「二度と思い出さない」とおっしゃって下さるのです。
親は、愛する我が子の罪は、赦し忘れようとします。子どもが犯した罪よりも、子どもを思う愛の方が遥かに大きいからです。一瞬、犯してしまった罪よりも、もっと遥かに大きい愛が存在するからです。親にとって、子どもが心から反省した罪については、記憶しておく価値がないからです。
主は私たちの罪を許し、忘れて下さる方・・・本当に私たちは主に愛されているのです。
「また罪を犯しても悔い改めて告白すればいいのではないか?」という問いも存在します。
また、私たちが住んでいるこの世界では、「罪のはね返り」を受けなければならないのです。
罪にも大小ありますが、
ドラッグ中毒になってしまった人の脳が一部損傷して、若くても健忘症になったりします。
中絶を繰り返す人が、のち不妊症になる話はよく聞きます。
強盗をしたら、懲役を免れないです。
「罪のはね返り」があるというのはこの世界では免れないことなのです。
基本的に、心からの罪の告白をした人が、「また罪の告白をすれば・・」という様な考えは持てないと思います。
ご自分の為に、私たちの罪を忘れて下さる主を覚え、今日一日過ごしたいと思います!
他の個所もあります。
なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。(へブル18:12)
そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。―主の御告げ―わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」 (エレミヤ31:34)