パウルの判断基準【使徒の働き18:19-21】

2022年

彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じた。

人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、

「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出した。

使徒の働き18:19-21

 

昨日のブログでは、パウロの第2回伝道旅行のコリントでの話を書きました。

パウロは、コリントでの伝道旅行で、異例の1年半滞在したと記録されています。

その後、ケンクレヤという所に寄り、エペソに行きました。今日はエペソでの話です。

 

パウロの伝道旅行は辛く苦しい事が殆どでした。

迫害や罵倒、試練、鞭打ち、投獄などが繰り返し身に降りかかる伝道旅行でした。

その中で、この第2回の伝道旅行のエペソでは、人々は、パウロにもっと長くとどまるように懇願するのです。

エペソでの反応は、好意的でかつ熱心でした。

人間的には、今まで困難を繰り返す伝道旅行で、好意的な人々に出会えたら、そこに留まりたいと思うはずです。自分も癒されたいし、もっとキリストを伝えたいと思うと思います。

しかし、パウロは「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます」と言って別れを告げ、エペソから船出したのです。

パウロはどうしてもう少し留まらなかったのでしょうか?

エペソが気に入らなかったからではないです。現に、第3回目の伝道旅行でエペソに3年も留まり伝道しています。

パウロは「今留まるのは主の御心ではない」と判断したのです。

パウロは早くエルサレムに行き、パウロの母教会アンテオケ教会へと急ぎました。

どうして道を急いだのか?

エルサレムの貧しい聖徒たちを助けるための献金を持っていくためではなかったかと解釈されています。アンテオケ教会から預かった献金、パウロが開拓伝道したアジアやヨーロッパの諸教会を行き巡り、彼らからエルサレム教会への献金を集め、それを届け、エルサレム教会の貧しい兄弟たちを助けていたのです。パウロはそれを生涯の自分の務めとして行っていました。

パウロは、エペソに留まるべきなのか、それともエルサレムに向かって行くべきなのか、二つの道を前にして悩んだのではないかと思います。パウロは個人的にはエペソに留まり、御言葉をのべ伝えたかったと思います。しかし御心を全うする為に私情を挟まなかったのです。

パウロの下した判断の基準は、ただ一つ「神の御心なら」ということです。

パウロの役目は、諸教会を回り伝道し献金を集め、エルサレム教会に届け、宣教報告を重視しました。母教会のアンテオケ教会でも宣教報告を大切にしました。

それは、伝道が自分一人で出来るものではなく、宣教できるよう支えてくれる教会や兄弟姉妹が居たからです。ですので宣教報告を大切にし恵みを分かち合っていました。

パウロは、主が願っていることは何かを求め、そこに生きたのです。

 

今日一日、主の御心は何か、主が私に願っている事は何か、祈りながら過ごしましょう!

 

 

 

 

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