2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、
4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
6 そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
7 あなたは正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
8 しかし、カインはアベルに話しかけた、「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
創世記4:2-8
アダムとエバの息子、長男が「カイン」と次男「アベル」の話です。 長男カインは大地を耕すものとなり、次男アベルは羊飼いとなりました。
主に捧げものをする時です。カインは「地の作物から主へのささげ物を持って来た」とあり、一方、アベルは「羊の初子の中から、それも最上のもの」を捧げたと記載されています。
主は、アベルの捧げものに「目を留められ」、カインの捧げものには「目を留められなかった」のです。
アベルは「聖別したもの」を捧げたのです。 「羊の初子の中から最上のもの」を選び抜き、一番良いものを捧げたのです。
主は「捧げた人の心」をご覧になるのです。
兄カインは、非常に強い妬みを覚えてしまいました。「激しく怒りを覚え、顔を伏せた」と5節にあります。 不平を言わずに顔を伏せたのは、カイン自身にも、どうして自分が受け入れてもらえないか分かっていたのだと思います。
弟のアベルのように、「感謝の心」「神様をあがめる心」そういったものの欠如が、カインの姿勢、カインの持って来たものに凝縮されていたのです。
そこで、カインは自分の信仰を改めれば良かったのですが、最悪な道を選択してしまいます。
「ねたみ」という動機が、弟アベルを殺してしまうのです。
もしかしたら、今回の事だけでなく、普段からカインはアベルに良い感情を持っていなかったかもしれません。弟は羊飼いで、自分は大地を耕す者。 多分兄の方が毎日大変だったような気がします。
日々、弟より辛い仕事をしているのに、私の捧げものより、弟の捧げものを認めるなんて・・・と思ったかも・・・放蕩息子の兄の様に・・
創世記4章に出てくるカインとアベル。カインの方が主とのやり取りなどがあり、少しどういった人物なのか想像がつきやすいですが。アベルに関しては特に記載がなく、アベルの死以降、登場しません。
ただ、新約聖書にアベルの名が何ヶ所か出てきます。へブル11:4には、
「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。」
この御言葉を見ると、「アベルは死んだが、その信仰によって今もなお語っています。」とあります。アベルの詳細の記録はありませんし、早くに亡くなっていますが、アベルは主に認められた信仰の持ち主であり、主を第一とした人生を歩んだ人物だと分かります。
遥か昔の人物ですが、現代の私たちも、またこれから未来の人類も、アベルが立派な信仰の持ち主だったと知ることが出来るし、アベルの短い人生から、私たちに信仰生活について沢山の事を教えてくれています。
アベルは短い人生でしたが、後世にまで「主に認められた信仰生活を送った人」としてこれからも伝えられていきます。
毎日羊の世話をして、自然の中で毎日を過ごし、主の守りを感じながら羊の世話をしていたアベル。日頃から主との会話も多かったのかもしれません。
いつの日か天国に行って、アベルに会ってみたいです!