それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。
エペソ2:7-8
自分が人からどのよう見えているか、気にし過ぎて行せんか?
人からの評価、人の目から自分がどの映っているかを気にすると、自分で自分を裁くようになります。
一人で自己嫌悪を起こし、やっぱり自分はダメな人間だと思い、自分が価値がないように感じるのです。
だから、自分を評価し裁く事が習慣になっている場合、その習慣の発端は、人からの評価であったり、自分が人の目にどの様に見え、どの様に振舞い、どう感じているかによるものです。
自分を裁くと失望してしまいます。そして、自分の内面を覗き込み、何か間違った部分がないか探り始めるのです。そして自分を正そうと努力するのです。
反対に、自分で自分を評価し、自分に合格点をつける事もあります。
鏡に映る自分が気に入っている時、自分がイケてると感じる時は、
心に喜びを感じ、自分が愛される価値がある人間だと思ってしまう。
物事が順調に進んで、自分の行動、心の状態が正常だと思える時は、主に愛されていると感じる。
両者とも、これは自分基準の配点です。
主は人気者の私を愛してくれている訳ではなく、人間関係が上手くできない私を愛していない訳ではないのです。
自分の評価に気を揉まれ、一人で自ら追い込まれたり、解放を感じたりするような、無駄なエネルギーを使わないようにしましょう!
今日の御言葉の「救い」と同じです。救いは、自分自身から出たものではなく、神様の賜物。
主の愛も、私がイケてるから愛されるのではなく、主の恵みによって愛して頂けるのです。
主が望まれるのは、いついかなる状況であっても、完全に愛されているという事を、私たちが感じ取ることです。
今日も主は、変わらず愛して下さっています。