わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
詩編103:2
「自分の人生の少し先を見れたら良いのに・・・」なんて考えたことはないですすか?
私は時々考えます。(時々でもないかも・・・)
どうして未来を見たい知りたいと思うのでしょうか?
「不安」だからです。今の自分が不安の中に居て、先が気になるからです。
私は今、不安の中にいます。押し潰されそうになる位、不安の中にいるのです。こうなるとする事なす事、全てが上手く回らなくなってきます。自分の手に負えない状態です。
こんな時、どうしたらいいですか? 単に、主を固く信頼すればいいですか?
私が、不安で潰されそうな時、自分で解決できない問題にぶち当たった時、私には決まって起こることがあります。
すごく久しぶりな友達から連絡が来るのです。「久しぶり。実は今、どうしようもない問題が生じて、どうしたら良いのか分からない!!」と。普段は連絡がないのに、何か問題が生じると連絡が来る友達が何人かいます。
その様な連絡が来る時は、友達は切に助けを求めているのです。友達には「死にそうなぐらい大きな問題」なので、久しぶりに連絡が来ると何週間か休むことなく一日に何度も連絡が来ます。
若い時は、この状況が(私がピンチの時に友達のピンチを一緒に背負う)私を一層悲しませました。自分の事だけでも、大変なのに・・・神様は決まってこの状況を崩さないのです。今もそうです。
自分の問題に自らどっぷりハマるな!という主からのメッセージだと受け止めています。自分の問題の沼にハマったとしても、それを自分で解決できない。自分の事は主に任せて、助けを求めている友達の所に、私と主が行くのが良いんだなと思っています。
もう一つ、大きな問題が生じた時に、決まって自分がしている事があります!
それは、昔スゴくよく聞いた賛美を聞くことです。すごく恵まれた賛美を沢山浴びます。
私が決まって聞くのは、韓国に留学する前に聞いていた韓国語の賛美です。
これを聞いていた時は、韓国語が分からず「アーメン!」「ハレルヤ!」「チュヨ!(主よ!)」しか分かりませんでした。でもすごく恵まれました。沢山泣いて聞いた賛美です。
主の導きを受け、韓国に留学を準備し始めた時です。留学して語学学校に通い韓国語を学んでから、神学校へ・・・という導き。
当時、私は働いていました。時間もお金も努力も費やして手に入れた専門職でした。それを辞めて留学? しかも私は27歳! 結婚はどうするの? 本当にこれは主の導きか? 韓国語習うのに何年かかる? しかもその後に、韓国語で神学校って・・ 日本語で神学勉強しても難しそうなのに、外国語で? 自分に出来る? 第一どうして今? 行くのなら5年ぐらい前に導きが欲しかった・・30はすぐ目の前・・・
誰か韓国に知り合いがいるわけでもなく、韓国に縁もゆかりもないのに。K-POPが始まる前の時代です。冬のソナタが日本に入ってくる前の時代です。
自分一人で勝手に、「導き」だと勘違いしているんじゃないか。と何度も何度も考えました。母教会の牧師先生にもクリスチャンの母親にも話さずに一人で祈り悩みました。誰も私が韓国に行こうかなんて考えてるとも知る由もありません。ですから自分が嫌なら行かなくても、主の御心に従わなかったと誰にもバレない状態です。本当に神様と私だけが知る話でした。仕事を辞め、韓国に数年間になるだろう留学を考えると、ドキドキハラハラしました。本当に? ホントに本当に?? これが主の御心?? 自分に出来る?? と訳の分からない不安からくる涙を沢山流しました。その時に聞いていた賛美です。
何十年経った今、自分が困難に出合った時に、このCDを聞きます。心がその時代に一気にワープします。あの時は本当に不安しかなかった。今思ってもあの時代によく一人で韓国に留学したな。しかも27歳で! 当時、心の中が不安しかなかった自分を思い出します。自分と神様だけの会話。全てが自分一人の錯覚ではないか? と何度考えたか。
CDを聞くと、27歳の自分から現在に至るまでの主の導きを走馬灯のように思い出せるのです。
韓国語も分からなく、右も左も分からない私は、主に依り頼むしかなかったのです。しかも今より日韓関係は良くない時代。日本人であるという事で嫌な思いを沢山する留学生活でした。何度も泣いて「もう帰りたい」と祈った事か。韓国語の取得より、韓国生活に慣れるのが本当に難しかったです。しかし、いつも主は私に、必要な物を一つずつ準備して下さっていました。
CDを聞くと、一瞬にしてその当時の心境に戻ることが出来ます。 韓国の留学の導きを得てから今に至るまでの、不思議な主の導きを一気に思い出すことが出来るのです。
思い出す一つ一つが本当に感謝しかなく、「主は必ず導いて下さる」という確信を、もう一度得る事が出来るのです。
だからと言って私の問題が解決するわけではありません。
問題は解決せずに変わらずあります。 変わるのは「私の心」です。
「もういい加減、平和な平安な日々を送りたい。この問題からいつ開放されるんだろう・・・」という思いが不満と不安しかなかった私の心に、
「今回、主はどの様にこの問題を打破してくれるんだろう?」と言う、「ワクワク」が少しプラスされるのです。
みなさんは、その様な賛美がありますか?
今からでも作りましょう。
凄く好きな賛美です。祈ることが難しい時に、祈ることを助けてくれる賛美。
沢山聞いて、沢山賛美して、自分のたましいに記憶させましょう!
信仰生活に賛美は欠かすことが出来ません。