たましいの渇き【ヨハネ4:14】

2022年

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

ヨハネ4:14

 

サマリヤの女の話です。

水は、私たちが生きて行くうえでとても必要なものです。 人間の体の60-80%は水です。

体内から水分がなくなると人間は生きていけません。動物も植物も同じです。

作物も育たず、食することができなくなるのです。

 私たちの身体は渇きを覚えたら、水を求めます。そのように私たちのたましいも、渇きます。そして身体と同じく、たましいも渇きをいやすものを求めています。

当時、ユダヤ人とサマリヤ人は非常に仲が悪く互いに口を利きませんでした。また男性と女性の差別もある時代・・・ですので、ユダヤ人の男性・イエス様がサマリヤ人の女と話をするというのは考えられない状況でした。

イエス様は、神の子であられるので差別なく誰かに語りかけられても可笑しくはないですが、サマリヤの女はどうしてイエス様と口を利いたのでしょうか。

サマリヤの女は、人目を避けて暑い日中に水くみをしていました。5回も離婚を経験し6人目の男性と一緒に暮らしていました。

自分の人生が嫌になっていたのではないでしょうか?

男性にだらしなかったのか、それとも出会う男性側に問題があった可能性もあります。

どちらにしろ、良い男性に巡り合うことが出来ず、後ろ指を指される人生を歩んでいたのです。多分、人生を振り返って沢山の「後悔」「疑問」「恨み」を持っていただろうし、「罪悪感」をもって生きていたのではないでしょうか。どうして自分の人生はこんなことになってしまったのか? 「どうして私が?」と誰かに聞きたくなる状態だったのではないでしょうか。まさに、たましいの渇きを覚えていたと思います。

 

身体に必要な水・・・ 例えば何かに打ち込んでいる時、集中するばかりにのどの渇きを忘れます。集中から解かれると、のどの渇きを感じ、水を欲します。しかし本当は集中している時も、体は水を欲しているのです。 ただ自分が集中という状態にすることにより、水を欲しているという事を感じなくさせているだけなのです。

たましいの渇きも同じです。本当は私たちはずっと「たましいの渇き」があるのです。

人生が順調にすすみ、特に問題ない状態の時は、日常の仕事や趣味などで「たましいの渇き」を感じません。 自分で感じないようにコントロールしているのです。

しかし、大きな失敗したり、重い病気になり、死を覚悟しなければならないような時、人生の危機に出会うと、この「たましいの渇き」が表に出てきます。人生が虚しく感じるのです。

 

この世で得ることが出来る「喜び」は、手に入れる事が出来ても、やがて過ぎ去るものです。

手に入れた瞬間、全てを手に入れたかのように喜びを感じるかもしれません。しかし、その喜びを持ち続ける事は出来ないのです。

時間の経過や状況が変わったり、環境が変われば、喜びは薄れたり無くなったりします。

 

主から下さる喜びを体験しましたか? 自分の心から喜びが沸き上がるのです。

是非是非、決して乾くことがない、湧き上がる喜び、命の水を体験して下さい!

体験する方法は簡単です!

日々、感謝するのです。感謝が増えれば増えるほど、命の水がこみ上げてきます。

始めは変化がないかもしれません。諦めず、続けてみて下さい。

 

こんな話を聞いたことがあります。

井戸水は地面を割らなければ、水を得ることができません。そのように、イエス様は十字架の上でご自分のからだを裂かれることによって、人のたましいをいやす「いのちの水」をわき出させてくださった。

主が命をかけて私たちに与えることを望まれている「いのちの水」を必ず受け取って下さい!

あなたのたましいが喜びで満たされますように!

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