彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらず。
イザヤ42:3
自分を他の人と比べて、自分の力の無さを感じたことはないですか?
先日、友達がカフェをOPENしました。
しかも、とびっきり大きなお店で、とびっきりお洒落なお店です。
友達は、カフェ経営なんて未経験なのに、SNSを使ってお洒落な動画を作って広告をだしたり、SNSでバイトを募集したり・・このコロナ禍にOPENしたにも拘らず、友達はSNSを使いこなし、OPENしてすぐお店は大盛況です。
もともと頭も良いし、色々な事に能力のある友達だと思っていました。
先日、目に見えて(OPENしたカフェ)、「この人…すごい~~!」と思うと同時に、
私には全く持ち合わせていない能力だな・・と思いました。
昔・・・ 教会の一部にキリスト教のカフェも出来たら良いね~と夫と話したことがありました。
でも、、、その時に想像したカフェとは、遥かに比べ物にならない位のお洒落なカフェを目にして、自分の頭から想像さえも出来ないお洒落なカフェ。友達のそのセンスと行動力と、一人でメニューや仕入れ先の開拓や、お店の内装を決めることが出来る能力が、羨ましく思いました。
同時に、、、「自分にはできないな・・ というか、自分に何ができるんだろう・・」とふと考えた瞬間でした。
クリスチャンになってから、人と比べて「私って・・」という思いは、凄く解放されてたように思っていました。
しかし、突然、目の前にこんな素敵なカフェを一人でOPENしているのを目の当たりにして・・心から、応援したいという思いと同時に、友達と自分を比べ、ふと、友達の能力や行動力が羨ましく感じ、自分が無力に思った瞬間でした。
神様は私たちの弱さをご存知です。
主は、私たちの弱いところに御力があらわされ、私たちが弱い時こそ御手で私たちを支えて下さる方です。(だからと言って努力が不必要だと言う訳ではないです。努力し克服していく事は必要です。)
私たちの弱さを通して、主との距離を縮め近づくことが出来るのです。
自分と、、、人生の行路をスイスイと歩んでいる様に見える人と比べないことです。(多分、その様に見えるだけで、影では大変な努力があるかもしれない)
人それぞれ、人生の旅が違うのです。
主は私に弱さを与えられた。それは、主と共に歩む旅をして欲しいから。私の魂が、主の元で花開くのを望まれているから。
神様は私たちに対して、傷んで折れそうな葦でも折れることがなく、くすぶって消えそうな燈心でも灯火が消えることがない様に、私たちを守って下さっています。
自分の弱さを隠したり恥に思ったりせず、弱さを通して主の恵みを受けれることを感謝しよう。
私たちがなすべきことは、私たちを理解し助けてくださる主に信頼することです。