あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
詩編119:105
恐れや不安を感じたことがない人は居ないと思います。
私たちは、色んな事に恐れ・不安を感じて生きています。
例えば・・・自然災害。地震は本当に怖いし、いつ起こるんだろうと考えただけで不安です。他にも台風。ある日突然、職を失ったら、目の前が真っ暗になりますよね。健康診断を受ける時も不安を感じます。新しい環境に移った時。転校だったり、転職、引っ越し、新しいコミュニティーに入る時は期待もありますが不安もつきものだと思います。家庭の家計が傾いた時、急に大金が必要となった時。事故も怖いですよね。愛する人と結婚となった時、大きな喜びと期待の反面、少なからず不安もありますよね。出産も同じ。子どもの成長と共に不安も付き物です。幼稚園に入園してお友達と仲良く出来るか。小学校へ入学し馴染めるか・・子どもの受験は、親にとっても一大事で不安になります。子どもの就職活動、結婚。 自分の親の介護。次から次へとやってきます。
1人の人生の中に沢山の不安や恐れがあって、それを引き起こす要因は人それぞれ違うけど。
誰もが根本的に持っている恐れや不安は何でしょう・・?
それは「死」です。
沢山の不安や恐れを引き起こす事柄は上記以外にも沢山ありますが、殆どは、「死」に対する不安が私たちの根底にあり、色んな形となって引き起こしているのです。
地震が起きて死んだらどうしよう。ある日職を失って食べていけなくなったら(死んだら)どうしよう。健康診断も病気になってたら「死」が頭をよぎります。新しい環境に適応できるかという不安は、そこにが自分の快適な居場所となるか。そこでちゃんと生きていける場所を確保できるかという不安。家計が傾くのも、事故に遭うのも「死」を感じるからです。
人間の不安・恐れの根本的問題は「死」であり、地震や病気など、形が変わっているだけなのです。
だからこそ、「死」に対して解放されないと、沢山の不安や恐れが次々と形を変えて襲ってくるのです。
不安や恐れに打ち勝つ法則があります。信仰の法則です。
主に対しての信仰がしっかりしていれば、不安や恐れは感じなくなります。
それはまるで「シーソー」の様です。
主に対しての信仰が、しっかりとどっしりとしたものであれば、主と反対のもの、不安や恐れというものは自動的に軽くなるのです。
反対に、不安や恐ればかりが心を支配されている状態は、信仰がしっかりとしていない状態だと言えます。
どの様な不安や恐れが降ってきても、自分の心が支配されないように、
自分の心を主の御言葉でいっぱいにしておくのです。御言葉で心を一杯にして、御言葉を体に浸み込ませておくのです。
御言葉で心を一杯にしておくと、主の御心を早く知ることも出来ます。
今日も一日、主の光の中を歩みましょう!