わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。
イザヤ46:3-4
年を取るという事・・・ 子どもが小さい時、誕生日が嬉しい行事ですよね。子ども本人も、親も一つ無事に大きくなれたと喜びます。
子どもが段々大きくなると、誕生日は友達と過ごしたり、小さい時のように家族の大イベントとはならない事が多いです。
私たち親の誕生日は尚更・・・ 嬉しかった誕生日が、いつの間にか段々と「あーまた一つ年を取てしまった!」と反応も変わってきます。
私は実家では7人家族でした。父母、子どもが4人と祖母(父方)です。子どもたちが結婚する前に祖母の痴呆がすすみました。もともと元気で聡明な方でしたが、ある時転んでしまい足を骨折。入院をしてからは動くのが少なくなり、痴呆がすすみました。
孫には優しい祖母でしたが、多分、嫁(母)には厳しかったと思います。痴呆が進むと、話すことも要求することも子どものようになりますよね。 当時はデイサービスなどなく、自宅でお世話するしかなかったのですが。幸い、父母だけでなく子ども4人が、みんな積極的に祖母のお世話をしました。お風呂に入れたり、爪を切ったり、下の世話も。
毎日、車いすに乗せて、近くの病院にリハビリに通っていました。私が連れて行く日が多かったように思います。ある日、祖母の心的コンディションが悪く・・・なかなか同意してリハビリを受けてくれませんでした。 そして、ついに「私はこの人に殺されるー--!!」と病院で叫びだしました。この人とは、、、私の事です。「助けてー-! 私この人に殺される!!」と叫び続け、病院の人は祖母が痴呆なのは知っていたので、私の顔を見て苦笑い・・・「大変ですね・・」と言ってくれました。
病院を出て、自宅まで車いすを押している道中も、ずっと大声で叫び続けました。20歳だった私は凄く恥ずかしくも感じ、悲しい思いでいっぱいになりました。家に着くと母親が迎えてくれました。その瞬間、病院で居る時から我慢していた気持ちが溢れ、ボロボロと泣きました。かと言って、祖母が嫌いになった訳ではなく、次の日からも一緒にお風呂に入ったりと過ごしていました。
母親がその姿を見て私にこう言いました。「痴呆ってある意味、祝福だと思うわ!」と言ったのです。すかさず「どこが???」と聞きました。「あなたはまだまだ若くて分からないかもしれないけれど、年をとったら誰もが不安になるのよ。出来ないことが増えてくる。体力も落ちて、記憶も落ちて、体が病気になったり、人にお世話になったりするし、第一、働けなくなるから、これからの人生を考えたら・・・不安になるの。だから痴呆になったら、そんなどうすることも出来ない不安から解放されるでしょ。痴呆は神様が与えてくれた祝福だと思うわ。心配せずに生きなさいって・・」と言う話を聞いて、そんなものかな・・と思っていました。
時間が流れ、母が天に帰り、親は父だけになりました。子ども4人にはそれぞれ家庭がありました。私は、お昼ご飯は実家で父と食べるようにしました。ある時、ボソッとこんなことを言いました。
「あ・・・もー年取るって嫌やな! 段々記憶力落ちて来てるし、これからを考えたら恐ろしいわ!」と言う姿を見て、母の言葉が頭をよぎりました。
「え? 大丈夫やって!! 私が居てるのに! 心配しなくて大丈夫!」と言うと、父は「ホントに??」と笑いながら聞きました。「昔、お母さんが、言ってたことがあるよ。祖母のお世話をしてる時。記憶力が落ちていくのも神様からの祝福だって。年を取って記憶するのが難しくなって、体力も落ちてきて・・・誰もが将来が不安になる。だから神様がその不安をとる為に、楽しく毎日過ごせる為に与えられたって。 だから大丈夫!! お母さんが祝福って言ってたし! しかも、子ども4人も居てるでしょ。誰かお父さんの事、知らないふりする子ども居てる? そんな子ども誰もいないよ。安心して、ばーん!!と任せて!!」と言ったら、何とも言えない表情をしていました。
母が言った「痴呆は神様の祝福」と言う言葉と、この時の父親の表情は忘れられないものとなりました。
イザヤ46:3-4 にもちゃんと書かれています。
「あなたが年をとって、しらがになっても、私が背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」とあります。
わたしの人生も命も寿命も、すべては神様の御手の中にあります。
神様がわたし達を担いでくださる、最後まで背負って下さるのです。
私たちが弱くなればなるほど、神様が強く働かれる方です。弱い時こそ、神の力と御手が今までより一層強く働いて下さいます。
神様が最後まで面倒見て下さるのです。
白髪になるまで、責任をもってわたしたちを背負い、救い出して下さるお方を信じて、ばーん!!と主にお任せして、主と共に歩んで行けばいいのです。