主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません。
詩編139:1-6
私はこの詩編139編の御言葉が好きです。
自分の弱さ(傷)を知っていますか?
弱い部分は人には見せたくないし、触れたくない、話したくない部分です。自分の中で暗い部分であり、影の部分、マイナスの部分だと思います。弱い所は痛みを伴います。
私にも心の傷がありました。本当に長い年月その傷が私の心も体も魂も支配しました。
心の傷は足かせのように私について回り、何をしても暗闇に引きずり込まれました。
自分の足についている足かせを、何度も何度も外そうと努力しました。
自分の努力で外れたと思っても、それは錯覚でした。生きて行くのが凄く辛かったです。
10代の時は、ひと学年上の人を見ると「この人凄いな・・・私より一年も長く生きてる・・私はあと一年生きて行けるかな・・」とよく思いました。
イエスキリストに出会って、こんな思いは全くなくなりました。
私の傷ついた部分を、主に告白しました。何日も何日も涙で祈りました。
主は光を当てて下さり、癒しを得ました。今まで絶対に外れなかった足かせもなくなりました。
私たちの弱さは、全能の神である主によって強くされる部分へと変わることが可能です。
自分の弱さを癒される体験を通して、主との信頼関係が強くなります。
主を知らない人は、傷は傷のままです。辛く苦しい思いを持ち続けています。
主って凄いですね!
弱さを強さに変えれるのだから。
自分に弱さ(傷)があって良かった!とまでは言えませんが・・・
弱さを通して主は働いてくれます。弱さを通して主の力を感じることが出来ます。弱さを通して、主の偉大さ、愛の深さを知ることができます。主と出会って、日々、喜びが溢れでます。
主を知らない方が、癒しの経験がない方が、主によって癒しを体験できますように・・・