朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。
詩編143:8
私たちは日々忙しい。
世の中が便利になればなる程、目まぐるしい忙しさの中に身を置いている。
時には季節の移り変わりにさえ、気が付かない状態の日々を送ることもあるだろう。
息をつく暇もなく、目の前の問題に取り組まないといけない時もある。
そんな追われているような生活の中で、どの様に主との交わりの時間をもてるだろうか。
私たちは大きな仕事を成し遂げた後は、無理をさせた体と心を休めようとする。
時には一日ベッドの上で過ごすこともあるだろう。寝ても寝ても眠たい状態。
もし、もう少し時間や心、経済的に余裕があれば、大きな仕事の後には旅行をするかもしれない。
実家へ帰るかもしれない。
一日寝倒すのも、旅行に行くのも、実家に帰るのも、友達と会うのも・・・
全て今までの忙しさから少し離れ、体力的にも精神的にもリフレッシュを望む行動である。
人間は、どんなに忙しくても小さなリフレッシュをしている。
(一番小さなリフレッシュはため息かも・・)
主との交わりは人間にとって生きて行くうえで大きなリフレッシュである。
電化製品でさえ、調子が悪ければ製造元に問い合わせたり修理に出したりする。
違う製造元には相談しない。
それと同じで私たちの製造元が、私について一番よくご存じである。
壊れかかった部分がないか、何かが詰まっていないだろうか。凝り固まった部分はないだろうか。
自分の体、心、霊的な部分、全て製造元でスキャナにかけるように見てもらおう。
一番良いのは、朝の時間のデボーション。時間を決めずにゆったり聖書を読んで祈る時間を持つ。
時間を決めずに・・というのが出来ない人もいるだろう。でも朝の交わりは色んな形で可能である。
まずは通勤時間。電車の中、運転しながら、駅まで歩きながら・・
時間がないと思っていても案外あるものである。
スーパーの道中、買い物中、歯を磨く時間、お風呂に入っている時間。
ベッドに入って眠りにつくまでの時間。料理をしながら。掃除・洗濯をしながら。
服を着替えながら、化粧をしながら。
主との交わりが持てないのは、時間がないという問題ではなく・・・心の問題。
自分が切に主を求めているか。自分の心がどこにあるか。どの方向を向いているか。
まず、自分で小さなルーティーンを決めよう!
例えば、通勤時間の電車の中ではスマホで何となく時間を過ごすのではなく、
スマホで聖書を読む。
駅まで歩く時は、何となく歩かず、必ず祈りながら歩く。
掃除をする時は必ず賛美をかける。洗濯を干すときは必ず祈りながら。
トイレに行くたびに必ず祈る。
帰宅したら何となくテレビをつけていたのを賛美をかけるに変更する。
自分が変えれる部分から変えてみよう。
問題は、「いつも自分の心にある」という事を忘れないようにしよう!