祈っても答えを得れない祈り【第2コリント4:17】

2021年

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

第2コリント4:17

 

祈ってもなかなか解決できない問題はないですか?

自分に付きまとう問題。早く解決して打開したいのにずっと自分を苦しめる問題。

祈っているのに・・・どうして主は導いて下さらないのだろう・・・

私もこんな経験は何度もあります。

目の前に辛く苦しい問題があり、それをいい加減解決してスッキリした気持ちで

毎日過ごしたいのに・・・ずっと祈ってるのに・・・なんの進展もない。

 

このような状態の時の自分はどの様な状態か思い出してみよう。

私の場合、、、

目覚めたら祈りますが、「今日も私に1日を与えて下さりありがとうございます。」というよりは

「神様!! どうか助けて下さい!! もう限界です!!」といった感じの祈りで1日が始まる。

1日の生活の中で何度も主を思い出し祈ります。

でもその祈りはどうだろうか? 私の場合、「いつになったら・・・助けてくれますか?」

「主の時はまだですか? まだ待たないとダメですか?」「私を助けてくれないのですか?」

「主よ! 私の問題を全てご存じですよね? もう私が限界なのも分かられてますよね?」

こんな祈りが毎日何回も続く・・・

主はどう思われているだろう。

私の祈りは「まだですか?」「助けて下さい!!」の連続である。

祈りで一番大切な言葉。一番多く使われるべき言葉・・・なんだろう。

 

「主よ。感謝します。」

これが祈りの中で一番沢山、自分の口から発するべき言葉であるべき。

今問題が私を押し迫ってきて、「感謝なんて、、、そんな余裕ない。出来ない!」と

思いがちである。

 

「主よ。私はもう限界です。知ってるでしょ? だから助けるのは今です!」という祈りは、

「主よ。あなたの時が今来ました! さあどうぞ!」という意味。

主が決められた時を、私が主に「今だよ!!」と「GO!と指示」を出している祈り。

滑稽(こっけい)な祈りである。

 

主には感謝する対象であり、私が指示を出すために祈るのではない。

「今は感謝できない」と思っても、一度やってみよう!!

「この状況で何を感謝する?」と思うかもしれない。

でも本当は感謝することは沢山ある。

まず、今日も生きている。家族がいる。大切な友もいる。豊かではなくても生活できている。

健康である。いつでも聖書を読める環境である。

もっと言えば「私には助けを求めれる主がおられる」

世の中には主に出会えてなくて、苦しい中でも助けを求めれない人が沢山いる。

でも私たちは「主に祈ることができる」これは最大の感謝の一つ!!

 

自分の祈りを振り返ってみよう。どんな言葉を一番よく発しているか。

本当は、私たちの日常には感謝が溢れている。

もし何カ月も雨が降らなかったら人間はどうなるだろうか?

それを想像しただけでも、「雨降りの日は感謝の日」である。

祈りを変えてみよう!

主はそれに気づいて欲しいが為、主の方が忍耐で「助けの時」を待っている事が多い。

私が主の答えを、主の時を、首を長くして待っているのではなく、

主が私が気付くのを首を長く忍耐して待っておられる。

つまり、私が待っているのではなく、私が主を待たせている状態。

私たちの祈りが「感謝」で溢れますように・・・

 

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