イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた、土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
耳のあるものは聞きなさい。」
マタイ13:3-9
私たちはひとり一人個性を持っている。
その個性とは遺伝的であったり、生まれつきの気質であったり、また後天的な物もある。
今まで受けた教育や個人の努力によるもの。
人との出会いであったり、無意識に影響を受けることもある。
多くの要因が影響し「個性(パーソナリティ)や性格」が形成される。
このような要因によって、人によっては外交的な人と内向的な人、情熱的な人と冷静な人、
気が長い人と短い人などの性格ができていく。
それにより人との接し方や物事のとらえ方などが変わってくる。
ひとり一人のパーソナリティが違ってくる。
主は私たちのひとり一人のパーソナリティを考慮しながら導いて下さる。
皆がおなじパーソナリティを持ってほしいと思っては居られない。
ただ聖霊の働きに抵抗せず、キリストの御顔を反映するパーソナリティを目指すべきである。
私たちクリスチャンは「土地」のようなものである。
私たちがするべきことは、
自分という土地から実を結ぶために、不必要な雑草や必要ない石を取り除くことだ。
可能な限り取り除き、良い土地にする。
主の実を結ぶために、肥えた土地を準備する。肥えた土地は完了するものではなく
日々の手入れが必要となってくる。
自分の土地から石と雑草を取り除き、肥えた良い土地となるべきである。
そうすれば、沢山の実を結ぶことが出来る。
ある者は30倍。ある者は60倍。ある者は100倍の実を結ぶ。
この差は、主の計画によるものかもしれないし、私たちの準備の差かもしれない。
私に出来ること、私がするべきことは、
主が私の望む土地を準備するということ。
自分のパーソナリティを高め、自分から不必要なものを取り除き、霊的に豊かに生きる。
そして私に与えられた土地に、主の思いのままに実を結んで頂こう。