「習慣」という力を鍛える【ヨハネ10:27】

2024年

わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来ます。

ヨハネ10:27

先日、次男と同級生を車で学校に連れて行きました。

その後、市内に出て買い物をする予定でした。

いつも車の中では賛美を聞いています。

この日も賛美をかけていたのですが、

私の頭の中は考え事で一杯だったのです。

今日、何時ごろ家に帰るだろうから、帰ったらあれをしよう。

夕飯までにこの資料を読もう。

夕飯後からブログを書こう…。

あ、メールの返信を忘れてる!返信メールの内容を考えないと…

次から次へと考え事が出て来たのです。

そして車を停車し、それでも車の中で考え事は止まらなかったのです。

そうしていると、車のフロントにハトがとまったのです。

私が驚くと、ハトも驚いて飛んで行きました。

びっくりした…車の中に人がいてるのに…(笑)と思いつつ

車を降りようとして、もう一度驚いたのです。

市内へ向かって出発したのに、車が止まっている場所は自宅の駐車場。

無意識で右折したり、左折したり、信号待ちをしたりして

自宅まで帰ってきてたのです。

え…こんな事ってある? 学校を出て家まで20分位。

それまでに気が付かなかったのです。

ハトに驚いて我に返った感じでした。

そう思った時「私はなんかハトみたいだな…」と思いました。

ハトには、生まれた時から帰る場所を認識しており、

遠く離れた場所からでも、自分の住処に戻る事ができる

「帰巣本能」があります。

ちなみに、帰巣できる距離は500~1000㎞だそうです。

人間には、動物の様な帰巣本能はありませんが、

記憶力と空間認知能力を使って、自分がどこにいるのかを把握し、

元の場所に戻ることができるようです。

無意識で自宅に戻った私。

人間は主に対して帰巣本能はないのだろうか?

私が無意識に家に帰って来たのは、

単なる「習慣」かもしれません。

万一、私たちに「帰巣本能」がなくても

「習慣」は帰巣する力を持っているのです。

そんな事を考えていて、

一番に思い出すのは「放蕩息子」

彼は全てを失った時に、父を思い出したのです。

多分、豪遊している時は、父は思い出す事はなかったかもしれません。

しかし、身を置く場所を考えた時に

父を思い出したのです。

今日の御言葉をみると、

私たちは主の声を知っており、聞き分ける事が出来るのです。

私たちは、潜在的に主を知っている様に感じます。

自分にとって、人生で迷った時、孤独な時、嬉しい時、満足した時、

どのような瞬間であっても

自分は主を思い出し、帰巣しようとするだろうか。

帰巣できるかどうかは、

今の自分の在り方によると思います。

今の自分が教会をどの様に思っているか。

主との交わりをどの様に思っているか。

信仰に重きを置けていなければ、

私たちが窮地に追い込まれた時、

違うものを手にする可能性があります。

教会中心、聖書中心、交わり中心の生活を心がけよう。

どのような状態になっても

主のもとに帰ることができるように!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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