わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来ます。
ヨハネ10:27
先日、次男と同級生を車で学校に連れて行きました。
その後、市内に出て買い物をする予定でした。
いつも車の中では賛美を聞いています。
この日も賛美をかけていたのですが、
私の頭の中は考え事で一杯だったのです。
今日、何時ごろ家に帰るだろうから、帰ったらあれをしよう。
夕飯までにこの資料を読もう。
夕飯後からブログを書こう…。
あ、メールの返信を忘れてる!返信メールの内容を考えないと…
次から次へと考え事が出て来たのです。
そして車を停車し、それでも車の中で考え事は止まらなかったのです。
そうしていると、車のフロントにハトがとまったのです。
私が驚くと、ハトも驚いて飛んで行きました。
びっくりした…車の中に人がいてるのに…(笑)と思いつつ
車を降りようとして、もう一度驚いたのです。
市内へ向かって出発したのに、車が止まっている場所は自宅の駐車場。
無意識で右折したり、左折したり、信号待ちをしたりして
自宅まで帰ってきてたのです。
え…こんな事ってある? 学校を出て家まで20分位。
それまでに気が付かなかったのです。
ハトに驚いて我に返った感じでした。
そう思った時「私はなんかハトみたいだな…」と思いました。
ハトには、生まれた時から帰る場所を認識しており、
遠く離れた場所からでも、自分の住処に戻る事ができる
「帰巣本能」があります。
ちなみに、帰巣できる距離は500~1000㎞だそうです。
人間には、動物の様な帰巣本能はありませんが、
記憶力と空間認知能力を使って、自分がどこにいるのかを把握し、
元の場所に戻ることができるようです。
無意識で自宅に戻った私。
人間は主に対して帰巣本能はないのだろうか?
私が無意識に家に帰って来たのは、
単なる「習慣」かもしれません。
万一、私たちに「帰巣本能」がなくても
「習慣」は帰巣する力を持っているのです。
そんな事を考えていて、
一番に思い出すのは「放蕩息子」
彼は全てを失った時に、父を思い出したのです。
多分、豪遊している時は、父は思い出す事はなかったかもしれません。
しかし、身を置く場所を考えた時に
父を思い出したのです。
今日の御言葉をみると、
私たちは主の声を知っており、聞き分ける事が出来るのです。
私たちは、潜在的に主を知っている様に感じます。
自分にとって、人生で迷った時、孤独な時、嬉しい時、満足した時、
どのような瞬間であっても
自分は主を思い出し、帰巣しようとするだろうか。
帰巣できるかどうかは、
今の自分の在り方によると思います。
今の自分が教会をどの様に思っているか。
主との交わりをどの様に思っているか。
信仰に重きを置けていなければ、
私たちが窮地に追い込まれた時、
違うものを手にする可能性があります。
教会中心、聖書中心、交わり中心の生活を心がけよう。
どのような状態になっても
主のもとに帰ることができるように!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)