わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネ15:5
知り合いの男性から「引越ししました」というハガキが届きました。
え?引越し? どうして?と思い連絡してみると。
転勤になったとの事。
そして会社で不当な扱いを受けて、転勤となったと話していました。
もともと仕事は一生懸命されている様子でした。
だから「転勤」と聞いた時は、「栄転」だと思ったのですが、
どうやら「左遷」の様な感じ…💦
何か大きな失敗をしてしまったんだろうか?と思ったのですが、
Aさんは「不当な扱い」だと言うのです。
何がどうなって不当な扱いを受ける事になったんだろう…
話を聞くと、上司といつも意見が食い違う様子。
Aさんは部下でありながらも、
話が通じない上司をよく思っていなかった様子。
溝は深まるばかりだったようで、
時には言い合いになる事もあったと聞きました。
私がその話を聞いて「どちらに非がある」とは判断できません。
分かっている事は、
Aさんは本当に仕事に一生懸命だったという事。
普段からAさんと上司の関係が上手くいってなかったという事。
そう思った時に、ドキッとしました。
一生懸命仕事を頑張ったAさん。
しかし上司とのコミュニケーションは出来なかったのです。
上司とのコミュニケーションが出来ていないと
頑張った仕事さえ、自分が思う通りの評価を受けることはできない…
これって信仰にも大いに起こりうることです‼
私は罪を犯さず真面目に生きて来た!
弱者には手を差し伸べ、
困った人には声をかけ、
人には親切を心がけて生きました。
与えられた仕事は懸命に取り組みました。
…しかし、上司(主)とのコミュニケーションは出来ていないのです。
その人の人生の終わりはどうなるでしょうか…
自分なりの最善を尽くす人生より、
「もっと大切なこと」があるという事です。
「私は懸命に人生を過ごした!」
「善良を心がけ日々を過ごした!」
「悪を避け、真面目に生きて来た!」といくら主張しても、
主を認め、主と共に歩む人生に勝るものはないのです。
主に繋がった人生…
主はこの様な生き方こそ「最善な人生」だと言われると思います。
主はぶどうの木で、私たちは枝。
主に繋がっていなければ、
私たちは実を結ぶ人生を送れない…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)