対処方法がゼロの状態の時【ヨハネ6:5-6】

2024年

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」
もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ヨハネ6:5-6

昨日のブログで

5つのパンと2匹の魚の話を書きました。

書き終わってから思ったことがあります。

私たちの人生にも、このような時があるように思ったのです。

なにもない人里離れた所に人々は集まっていました。

そしてこの大勢の人たちが空腹を覚えたのです。

全ての人に食べさせる持ち合わせた物もなく、

お金もなく、また店もないのです。

成すすべがなかったのです。

対処方法がゼロの状態。

私たちも時に、この様な状態に陥る事があると思います。

全く解決する方法がない状態。

主はピリポを試して

「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」

と言われました。

こう言われたのに理由がありのです。

6節をみると「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられた」とあります。

主は、ここにいる全ての民を十分に満たそうと計画されていたのです。

主は、人間には絶対に解決ゼロの問題に対して、

「どのようにする?」と聞かれたのです。

そしてその質問をされた時には、

解決方法まで準備されていたという事です!

私たちの「解決方法ゼロ状態」にも、

主は、既に解決方法を持たれているのです。

そして持たれた状態で「あなたはどの様にする?」と聞かれているのです。

そして、全ての民を満たせるのに、

使われたのが「子どものわずかなお弁当」です。

これは、本当に凄い‼

皆がお腹を空かせていたのです。

このお弁当の持ち主の子どもも同様、お腹は空いていたはずです。

僅かなものから、主は大きな御業を行なわれた…と言えばそうですが…

群衆皆がお腹を空かせていたのです。

皆「受けよう」「受けたい!」という状態だったのです。

しかし、このお弁当の持ち主の子どもは

皆が受けたいと思っている時に、

自分のものを手放したのです。

捧げたのです。

皆が何かしらの問題の中にあって、

受けたい…貰いたい…癒されたい…愛されたい…欲しい!

と思っている時に、

与える事が出来たのです。

自分の権利、自分の所有を手放したのです。

主は、そのように自分にある僅かな所有、わずかな権利、わずかなものでさえ

手放し、主に捧げて欲しいのではないでしょうか?

皆が「受けたい‼」と思っているのが

普通のこの世の中だと思います。

しかし、私たちはこの聖書の箇所を通して、

与える者、手放す者、主にお返しする者となるべきだと

教えられている様に感じました。

主がピリポに試された時、

主はその子どもが自分の僅かな所有を手放す事も

期待されていたんだと思います。

主の期待に応えられる者となりたい…

自分の主張、自分の権利、自分の所有…

主にお返ししよう…‼

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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