何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ4:6-7
働いている病院で、何度も入退院を繰り返す方がいらっしゃいます。
下半身がただれて真っ黒。体液や出血がにじみ…何とも表現しにくい状態。
肌だと思えない状態になっているのです。
ずっと下痢が止まらず、50歳にも満たないのに寝たきりになっています。
部屋に入ると何とも言えない匂い。
ナースさんに「何の病気ですか?どうしてあのような状態になるのですか?」と聞いたら、
腎不全だというのです。
そして「エリテマトーデス」という
自分の免疫が自分の体を攻撃する「自己免疫疾患」だそうです。
体内の免疫機能に異常が起きて、
本来は異物を攻撃するはずの免疫が、
自分自身の組織を攻撃してしまう病気だそうです。
原因は完全には分からないそうです。
…本来ならば、自分を守る免疫が、
自分を攻撃し自分をむしばむのです…
「自己免疫疾患」って聞いた事はあったけれど…
こんな状態にまで健康をむしまれている…とショックでした。
…その時…信仰も同じだと思ったのです。
私たちの信仰は、罪・死からの解放。
そして永遠の命を約束されているのです。
人間の殆どの悩みの根源は、死への恐怖から来るのです。
病気になるのも、孤独を感じるのも、
生きる事が辛くなったり、不安を感じるのは、
私たちに「死」を意識させるからです。
私たちのその不安要素をご存知である主。
だから、私たちの悩みの根源を主は解決して下さっているのです。
まさに「免疫力」のように、私たちを悪や問題から守るもの。
しかし、その私たちを守るはずの信仰が、
私たちを苦しめる事もあるのです。
主と出会って、罪や死から解放され、
主と共に幸せに生きていける‼と思ったのに、
信仰生活が上手くいかない…
思うような信仰生活を送れない…
他の人は主の愛と恵みに満たされ生きている様に見えるのに…
自分はそうでもない…
あれ?信仰を持って何が変わたのだろう?
永遠の命の為に、毎週日曜日は教会に行かないといけないのか?
教会に行けば、奉仕や交わりに参加しないといけないのか?
毎日、聖書を読んだり祈ったりを強制されるのか?
信仰を持つ事が、窮屈に感じる事があります。
どうしてでしょうか?
「自己免疫疾患」の原因はわかりませんが、
この信仰が自分を苦しめる原因は分かるような気がします。
「信仰」が、自分が思っているのと、
自分が想像しているのと、違うからです。
祈ったら、直ぐに応えて欲しい。
主の御心が分からない。
奇跡を体験できない。
目に見えての変化がない…
打てば響くような応答があれば、良いのですが。
そうではない。
待たされると感じる事も多く、
沈黙をされることもあるのです。
期待した通りの答えを得れないこともあり、
どう考えても、これが主の御心だと思っていたのに、
そうではなかった…という事も多々あるのです。
このような思いが、
私たちの信仰をむしばむのです。
これは、サタンの思う壺状態です。
私たちに「理想とする信仰」があったとして、
それを「10」とします。
私の信仰は、多分、1-2ぐらい…💦
私の信仰と、理想の信仰までの差が、
8や9もあるのです。
私はそれを埋めようとします。
どの様に埋めようとするでしょうか。
理想の信仰を持つ為に、私は主に「条件」を出すのです。
「主よ。この祈りを聞いて下さい。
主が答えて下さったら、私は主に従います。」
「これさえ上手くいったら、主に従います。」
「これだけは、叶えて欲しいです。そしたら私はあなたに捧げます」
「どうか…これだけ…」
「この祈りに答えて下さったら…」
と主に条件をだし、
満たされれば、私は理想とする信仰を持てると思うのです。
「条件」をもって、差を埋めよう。
理想の信仰に達しようとするのです。
しかし「条件」で、理想の信仰を持つ事はできない…
何故なら、
条件で理想に達した信仰は、不安定だからです。
条件が揃わないと、直ぐに信仰は揺れるからです。
理想の信仰と、現実の信仰を埋めるものは何か…?
多分「謙遜」です。
条件なしに、主に従い
条件なしに、主を愛する。
主が私の為に十字架にかかって下さったことだけで感謝。
今日も主と共に歩めることに感謝…
そのような信仰を持てていない…
だから、私たちは「謙遜」に信仰を持つべきなんだと思います。
「謙遜」だけが、
自分の信仰を高めるものなんだと思います。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)