しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
Ⅱコリント12:9
次男は高校で生徒会長をしています。
学校が落ち着きがないこの騒がしい時に…。
学校でも色々な問題が生じます。
その度に、次男は苦しむのです。
友達の配慮がない言葉に、腹を立てたり悲しんだり…。
そして、次男は私にそのストレスをぶちまけます。
凄い熱量で訴えてくるのです。
それほど、次男にとっては大きな問題だという事。
しかし、私が次男の話を聞く限り、
大した問題ではないのです。
そんな時は、この子にもっと丁寧に説明をして
この子が味方になってもらえるようにした方がいいよ。とか、
こんな時は、もっとこうした方が人に伝わるから…とか
みんなが理解をできるように、面倒でも時間をかけ説明が必要。
などと私なりのアドバイスをします。
私にとっては大した問題ではないものに、
次男は大きな問題だと認識するのです。
それは何故でしょうか。
経験…と言えばそうですが、
次男は、自分に起こっている問題に対して弱いのです。
しかし、次男より人生を長く生きている私にとっては
それは問題ではないのです。
つまり、
出合った問題に対して弱いか強いかで、
苦しく辛い時間を歩むかどうかに影響すると思うのです。
もちろん私も、問題が生じて、
苦しく辛く孤独な時間を過ごす事があります。
それは、私がその問題より弱いからです。
問題より私が強ければ、苦しくはないのです。
主は強いお方で、私たちは主に似せて造られたのに…
私たちは弱いのです。
一瞬で、苦しみ、悲しみ、孤独に陥って心が乱れ、大騒ぎになるのです。
主はどうして、私たちを弱い存在として創造されたのでしょうか。
自分にはどうする事もできない…
主に拠り頼むしか方法がない…
と主が教えられているのです。
もし、私たちが問題より強ければ、
主を必要としないのです。
主がいなくても、1人で悠々自適で生きていけるのです。
それでは、主を必要とせず、主を礼拝することも賛美する事もなくなり、
主を忘れるのです。
主と共に歩む必要がないからです。
主は、わざと弱い面を造られたと思います。
私たちが、主を忘れない為に。
私たちが、主と共に生きていく為に。
主と共に生きていく生き方が、
私たちにとって一番ベストで、幸せな生き方だからです。
だから、自分の弱さを喜ぶべきなのです。
自分の弱さは、主が与えられたもの。
「あなたは私と共に歩みなさい…」と。
私の弱さは、主の祝福…だと思います。
私たちは、辛く苦しい時…どの様に祈るでしょうか。
このような場合、多くの人は2種類の祈りをするそうです。
・問題から解放して下さいという祈り。
・問題を失くして欲しいという祈り。
この2つの祈りは、私たちの根底には、
苦しさや寂しさ、辛さや孤独を失くして欲しいという祈りなのです。
しかし本当は、
辛く苦しい時こそ、自分の信仰について祈るべきなのです。
どのような時でも、
祈る事を忘れないようにして下さい。
どのような時でも、
主に従順でいる事ができるように。
どのような時でも、
主に感謝する事を忘れないようにして下さい。
辛い時こそ「信仰を強められる祈り」を祈る!!という
意識を持っていないと…
私は直ぐに「助けて下さい…辛すぎです💦」となってしまいます。
日頃から、自分の信仰が強められますようにという祈りをしよう…!
今日も、主と共に歩む1日をお過ごしください!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)