そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
Ⅱ列王記5:13
聖書を読んでいて、ふと思ったのですが、
私たちがストレスを感じる理由…です。
ナアマン将軍の話。
ナアマン将軍は地位もあり名誉もあった方。
そして小さい者の声にも耳を傾ける事が出来る人格。
部下に慕われていたというのが、
本当に「良い人」だったんだと分かります。
聖書を見ると、主は私たちに神にだけ喜ばれる人ではなく
「人にも認められる」という事も大切にされています。
その観点から見たら、
ナアマン将軍は、人にも認められていた人物だと思うのです。
しかし、ナアマン将軍は、エリシャの言動に対して
「怒って去り、帰路に着いた」のです。
理由は、自分が思っていた対応ではなかったから。
エリシャは「良くいらっしゃいました」と挨拶してくれると思ったのではないでしょうか。
そして主の名を呼び、自分の体に手を置き、癒しを行なうものだと考えたのです。
しかも、大して綺麗な川ではない所で、1人で身体を洗う??
想像と違ったのです。
私の頭の中にもあると思います。
当然、こうなるだろう。
こうするのが当たり前。
常識的に考えて…
礼儀がなっていない…
普通の人なら…こう感じるはず。
このような自分が築いた基準。
ナアマン将軍にも、彼自身が生きて来た中で基準を作ったのです。
そしてその基準に満たない対応に、心底腹を立て、
ダマスコからサマリヤまで、150~200キロほどだと思います。
その道のりを贈り物を持ち、馬に乗っても数日かかるはずです。
しかし、品格や人格があるナアマン将軍でも、
彼の基準を下回ると…怒りを表すのです。
自分を軽く見た。自分に対する対応がなっていない。
無視されたように感じたんだと思います。
これは、プライドが傷ついたかもしれません。
何にしろ、受け入れがたいストレスです。
ナアマン将軍にとっては、ストレスの時でありストレスの場所。
しかし、部下の助言があり、思い直したのです。
そして、見事に癒しを受けたのです。
つい先ほどまでは、
自分の置かれた環境はストレスマックスだったと思います。
しかし、同じ環境にいても、そこは「神の国」のように変わったのです。
エリシャが「大変失礼な言動を致しました。お詫び申し上げます」と言った訳ではない。
エリシャの対応は変わっていないのです。
変わったのは、ナアマン将軍の心です。
従ってみよう…という心。
現状は、目に見えるままが現状ではないのです。
現状は、(良く分からないけれど)従おうという心で変わるのです。
という事は、
自分で現状を変えれるのです。
ストレスを感じた時。
生きるのが辛く感じた時。
ダニエルも、ライオンの洞窟に投げ込まれるという現実。
誰が考えても、嚙み殺されるだろう…と察しがつきます。
現状は最悪。現状は地獄です。
しかし、ダニエルは、怯えながら、震えながら、助けてくれ!
と叫びながら洞窟に入ったのでしょうか?
記録はありませんが、そうではないと思います。
ダニエルの信仰が、最悪な状態を最高の状態へ現状を変えたのです。
地獄の状態を天国の状態にしたのです。
ダニエルは決められた時間、洞窟で過ごしました。
しかし、恐怖の時間は、恵みの時間へと変えられたのです。
現状は「私たちの解釈」で決まるんだと思います。
ナアマン将軍は、部下のアドバイス(今日の御言葉)
この言葉に、自分の我や性質について悟ったと思います。
私たちは、目に見える現状に対して、
視点を変えないといけないのかもしれません。
自分の解釈一つで、
現実は、目に写る現実とは違う現実になるのです。
ナアマン将軍が心を変えず、帰路に着いたら…
病はナアマン将軍から去ることはなく、
心もストレスを持ったままだと思います。
それがナアマン将軍の現実となったはずです。
現実は変えれるのです…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)