いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。Ⅰテサロニケ5:16-18
病院で夜中に患者さんからナースコールがあり、
病室に入る事があります。
患者さんによっては、小さな蛍光灯も全て消して
お休みになる方がいらっしゃいます。
お部屋に入る時は、ナースコール用のスマホの光をONにして入ります。
お部屋で作業を済ませ、
病室を出るまで、わずか数メートル。
いつも歩く病室だし、すぐそこだから…と思い、
スマホを付けずに真っ暗な中、外に出ようとしました。
扉までは、すぐそこ。目と鼻の先…
そして真っ直ぐ進めば良いのです。
しかし、一歩進むと、一気に不安になりました。
夜中に何かにぶつかったり、物に当たって落としたら
大きな音がします。
すぐそこに扉はあるのですが、不安になりスマホを付けました。
無事に廊下に出て思った事は、
「イエスさまを知らない時の自分の人生って、
こんな感じだったかも…」と思ったのです。
いつものこと。すぐそこ。これぐらい自分で出来る。
そう思いながら人生を歩んでいたな~と思い出したのです。
同時に、祈らないというのも、これと同じ…と思いました。
私は「これぐらい、大丈夫」「いつもしている事だから」
「特に問題はない」と思ってしまう事が多いです。
もっと分かりやすく言えば、
「わざわざ、こんな小さなことでさえ、祈っていたら、何もできない…(笑)」
ただでさえ、祈る事って多い…
自分では何一つ出来ないし、全てが神の御手にある…
そう分かっていながらも、
「これぐらい…」と思ってしまう自分がいます。
これぐらい自分が出来るし、わざわざ祈るほどの事ではない…
と思っている時って…
自分の頭で判断するのです。
自分の考え、常識、経験に頼って小さな判断を繰り返すのです。
という事は、
祈らないという事は、
自分の思いに支配されている状態なのです。
自分の欲や願いが私を支配しているのです。
そんな事を考えていると、
クリスチャンは「イエスさまを信じている」と告白しながらも
自分の思いに支配されている状態になっている事が多いかも。
自分は何一つ出来ない…と分かっていながらも
自分の人生を自分の欲にそって歩ませているのです。
祈るという事は、
主に拠り頼むということ。
主に私の人生に介入をお願いするという事。
自分の人生は、何に支配されるべきなんだろうか。
主の計画の中を生きて行くべき…
主の御手の中で歩むべき…
全能な主に委ねる人生を選ぼう…
主とのコミュニケーションを第一にしよう…!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)