祈らないという事は…【Ⅰテサロニケ5:16-18】

2024年

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

Ⅰテサロニケ5:16-18

病院で夜中に患者さんからナースコールがあり、

病室に入る事があります。

患者さんによっては、小さな蛍光灯も全て消して

お休みになる方がいらっしゃいます。

お部屋に入る時は、ナースコール用のスマホの光をONにして入ります。

お部屋で作業を済ませ、

病室を出るまで、わずか数メートル。

いつも歩く病室だし、すぐそこだから…と思い、

スマホを付けずに真っ暗な中、外に出ようとしました。

扉までは、すぐそこ。目と鼻の先…

そして真っ直ぐ進めば良いのです。

しかし、一歩進むと、一気に不安になりました。

夜中に何かにぶつかったり、物に当たって落としたら

大きな音がします。

すぐそこに扉はあるのですが、不安になりスマホを付けました。

無事に廊下に出て思った事は、

「イエスさまを知らない時の自分の人生って、

こんな感じだったかも…」と思ったのです。

いつものこと。すぐそこ。これぐらい自分で出来る。

そう思いながら人生を歩んでいたな~と思い出したのです。

同時に、祈らないというのも、これと同じ…と思いました。

私は「これぐらい、大丈夫」「いつもしている事だから」

「特に問題はない」と思ってしまう事が多いです。

もっと分かりやすく言えば、

「わざわざ、こんな小さなことでさえ、祈っていたら、何もできない…(笑)」

ただでさえ、祈る事って多い…

自分では何一つ出来ないし、全てが神の御手にある…

そう分かっていながらも、

「これぐらい…」と思ってしまう自分がいます。

これぐらい自分が出来るし、わざわざ祈るほどの事ではない…

と思っている時って…

自分の頭で判断するのです。

自分の考え、常識、経験に頼って小さな判断を繰り返すのです。

という事は、

祈らないという事は、

自分の思いに支配されている状態なのです。

自分の欲や願いが私を支配しているのです。

そんな事を考えていると、

クリスチャンは「イエスさまを信じている」と告白しながらも

自分の思いに支配されている状態になっている事が多いかも。

自分は何一つ出来ない…と分かっていながらも

自分の人生を自分の欲にそって歩ませているのです。

祈るという事は、

主に拠り頼むということ。

主に私の人生に介入をお願いするという事。

自分の人生は、何に支配されるべきなんだろうか。

主の計画の中を生きて行くべき…

主の御手の中で歩むべき…

全能な主に委ねる人生を選ぼう…

主とのコミュニケーションを第一にしよう…!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました