わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて助言を与えよう。
詩篇32:8
使徒の働き27章を読んでいて、
何となく「あれ?」と思いました。
囚人としてパウロはローマに向かう船に乗ったのです。
しかし天候に優れず、航海は難航していたのです。
そしてパウロが「積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶ」と言いました。
しかし百人隊長は、パウロの言葉ではなく
航海士や船長の言葉を信じ、出航したのです。
これは当たり前と言えば当たり前。
素人のパウロの言葉より、プロの言葉だからです。
しかし出航して直ぐ、船は激しい暴風雨にさらされ、事態は悪化するばかり。
命の危険を感じる目に遭うのです。
パウロは同行者たちに、私たちの命は助かると伝え、励まし続けました。
結局、船は座礁し、人々は助かりましたが、船は破損したのです。
これを読んだ時…
主はどうして嵐を治められなかったのだろうか。
パウロが主の御名を叫び、
嵐を治めても良かったのではないか?
と思ったのです。
…マルコの福音書4章を見ると
イエスさまが群衆に「種を蒔く人の例」を話された後、
弟子たちと共に船に乗り、
嵐に遭いました。その時弟子たちは恐れおののき、
寝ていたイエスさまを起こして、
イエスさまは嵐を静められたのです。
この時は、主は嵐を静められたのです。
…そう考えていたら、ペテロの話を思い出しました。
5つのパンと2匹の魚の奇跡の後、
イエスさまは弟子たちだけを船に乗せて送り出しました。
そして嵐に遭ったのです。
イエスさまは水の上を歩いて来られ、
ペテロは「主よ。もし、あなたでしたら、私に、
水の上を歩いてここまで来い、と
お命じになってください。」と言い、
ペテロは嵐の中を歩いたのです。
…同じような状況でも、主の対応が違う…
私が苦難に遭い、苦しいと感じる時。
私が孤独を感じ、寂しさに震える時。
私が失敗をし、人生が虚しく感じる時。
私が罪を犯してしまい、自分に絶望した時。
「主の対応は様々だ」という事だと思いました。
苦しさを取り去る事をされる事もあるし、
苦しい状況は変えず、状況を用いられる時もある。
そして、パウロのように、
苦しさをそのままにして、主が働かれる事もあるのです。
使徒27を見ると、
パウロが遭った嵐は、止むことなかったけれども、
しかし船に乗る前の主の約束
「あなたは、わたしのことをローマでも証しなければならない」という言葉を
成就させられました。
パウロは、嵐から免れる事はなかったけれど、
嵐と言う状況を通して、主の御心を伝え、
伝道する者として用いられたのです。
主は、私たちの祈りに答えられるのです。
私たちは、
今感じる痛みがなくなる事を望んでしまいます。
しかし、主の対応は様々だとういう事です。
人間的には、困難を取り去らず、
ほったらかしにされるパウロの状態は嫌だな…と
思ってしまいますが、
パウロは、主に大いに用いられた人物となったのです。
主の対応は3つかも…と思いました。
どれであれ、主が今の私に一番最善な方法で
答えて下さるという事は確かです。
主に感謝し、今日も主と共に歩む1日としたいです‼
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)