信仰とは、信じて待つ事です【イザヤ30:15】

2024年

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられれる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。

イザヤ30:15

今日、子どもの学校に行きました。

学校に入るなり、双子らしき子どもが走り回っていました。

凄く元気な子…

お母さんが事務所で何か手続きをしている間、

かけっこをしたり、大声をだしたりと大騒ぎでした。

「お母さん、大変そう(笑)」と思いながら、

私は事務所近くで人を待っていました。

余りにも大声で騒ぐので、時折お母さんが「静かにしなさい!」と言っても

その声は耳に届いていない様子。

私が「何歳? お名前は?」と声をかけると、

子どもが近寄ってきて、

一緒に追いかけごっこをしようと誘うのです。

凄く元気が有り余っている子どもたち。

このお母さん、子育て大変だろうな~と思っていました。

お母さんの手続きが終わって、

「帰るよ~」とお子さんに声をかけました。

すると、その子どもは私の手を離し、

学校の門の方へ走り、飛び出したのです。

学校の前は車が通る道…

私が、危ない!!と思った時、

お母さんが大声で「STOP!!」と言ったのです。

すると、この2人はその声と同時にピタッと止まったのです。

すごい…(笑)と思えるほどでした。

こんなに親に「静かにしなさい」と注意されても

声は耳に入らない子どもなのに…

「STOP!!」という言葉には凄く反応するんだ…

それほど「STOP」と言う言葉は

「絶対的に大切」なんだと

教えられてるんだろうな…と思いました。

元気過ぎるほど、元気な幼い子ども。

子どもは何かに夢中になると、周りが見えず、後先考えにくくなります。

でも「STOP」と言う言葉には

「STOPしないと危ない」

「絶対にSTOPすべき」

「STOPする事が最良の選択」

という事を理解しているのです。

2人の姿を見ながら「凄く大切な訓練をしてもらってるな~」と思いました。

夢中になっていても、やめてSTOP

もっと遊びたくても、やめてSTOP

自分の意志とは関係なく、やめてSTOP

これって凄く大切だと思います。

主も私たちに、このお母さんが言ったような「STOP!!」と叫ばれる時があります。

生きる気力がなくなった時、

心の傷がうめきをあげた時、

大きな問題に押し潰されそうになった時、

悲しくて悲しくて仕方がない時、

自信を失い、前に進めなくなった時、

孤独感から、1人暗い空間にいるように感じた時、

主の愛が分からなくなった時、

どうして良いのか分からなくなった時、

このような時は、主が「STOP!!」と叫ばれている時だと思います。

一人で、解決しようとしないで!

一人で、苦しまないで!

一人で、打開策を探さないで!

一人で、生きようとしないで!

一人で、泣かないで…

「私がいる」「私があなたの側にいる」

「それに気付いて欲しい」

「私の声を聞いて欲しい」

「もっと私を信頼して欲しい」

「もっと謙遜を学んで欲しい」

「もっと私の愛に満たされて欲しい」

「私が解決するのを待って欲しい」

「目の前の出来事に心を奪われたり、

心を痛めないで、

私がそれらを通して語ろうとしている事に

私に心を向けて欲しい」

…主が何を自分に語ろうとしているのか、

今、目の前の出来事を通して私に何を語ろうとしているのか

分からない時…

どうすればいいのでしょうか。

…それが分かるまで「待つ」のです。

「神さま…!! 今、私に語ろうとしている事を、私が悟る事が出来ますように」と祈りつつ。

主の時が来るまで、待つ(STOPする)のです。

主は、私たちが主を信頼して待つ事を望まれています。

信仰とは、信じて待つ事…だと言えると思います。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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