苦しみの渦中、主は何を語られるのか【詩篇105:17-19】

2024年

主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。
彼らは足かせで、ヨセフの足を悩まし、ヨセフは鉄のかせの中に入った。
彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした。

詩篇105:17-19

昨日のブログの続きのような内容です。

ヨセフは、奴隷の生活を13年間強いられました。

聖書を読むと、兄たちが奴隷として売ったのです。

しかし、詩篇には

「主はひとりの人を彼らにさきがけて送られた。ヨセフが奴隷に売られたのだ。」と書かれています。

つまり、兄が奴隷として売ったのではなく、

主がヨセフをエジプトの地に送ったのです。

これは主が、ヨセフをエジプトで過ごさせる計画を成就する為に、

兄たちを使い、ヨセフを奴隷としたのではないです。

兄たちが奴隷として売りました。

しかし、主がそこに意味を持たせたのです。

人間の悪をも、主は用いられる事をされるのです。

幼いヨセフな言葉も通じない国で1人…

辛く、寂しく、1人涙する時間が多くあったと思います。

しかし、主はヨセフを13年もの間、

奴隷としてそのまま置かれたのです。

ヨセフが「主よ。私を解放して下さい。父のもとに帰らせて下さい」と祈ったかもしれません。

主は、この奴隷という自分の自由がない状態から

ヨセフを解放させなかったのです。

今日の御言葉を見れば分かるように、

主の時が来るまで、ヨセフをそのままにしたのです。

主は、ずっとヨセフと共にいました。

主は、ヨセフから苦しみは取られず、

ずっと共にいたのです。

共にいて何を語ったのでしょうか。

「もうすぐ解放させてあげるからね」

「お父さんに必ず会う事が出来るからね」

と言ったのでしょうか。

それよりも、

主はずっと「私はあなたと共にいる」と語られたのです。

ずっと、ヨセフを愛し、

ずっと、ヨセフを励ましたのです。

苦しみは取らずに…。

…という事は、

今、私たちの置かれた環境、

苦しみの渦中、

「どうしてこんな事が??」と、

理解することができない事があるかもしれません。

このような時、私たちが選択する事は、

ただ「主が自分と共におられるということ」を信じる。

自分が理解できないところで、

主が確実にご自分の計画を実行するために

準備しておられることを信じるのです。

本当に、これに尽きるのです。

主は、今日も生きておられ、働かれているのです。

今日も、主に期待しましょう!!

今日も、主が私たちと共に居られます!!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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