「いつも私の前に主を置く」生き方【詩篇16:8-9】

2024年

 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。

詩篇16:8-9

私は、最近、自分の信仰の小ささ、弱さに心を痛めています。

毎日、色々な事が起こります。

思ってもない知らない人に会う事になったり、

何度も領事館や私学課に行って話をしたり、

韓国の機関にも行きます。

全てどこかに行くとなると、沢山の準備が必要となります。

どの様に話を進めるか、打ち合わせも必要となります。

1つ1つが、負担な事であり、

神経を使う事が続くのです。

私は保護者代表…

当たり前ですが、私に疑問を持つ保護者も出てくるのです。

長文でLINEが送られてきます。

電話で抗議する人もいます。

一つ一つ丁寧に返信をし、理解を得ようと努力します。

同じ保護者から同意を得るのが一番だからです。

しかし、対処するのも本当に骨が折れる作業ですし、

人に責められたら誰でも心は、楽ではありません…

ストレスを感じ、泣きたくなります。

…子どもの学校の創設者を研究している学者さんがいます。

数ヶ月前から、その人から沢山の質問が次から次へと来るのです。

「この学校の一番素晴らしいと思うプログラムはなんですか?」と。

適当に答えれないので、数日考え文章にして送ります。

すると次から次へと質問が送られて来るのです…

もう、既読スルーです。

「すみませんが。今、学校の対応で一杯いっぱいです。先生の質問を考え、思い巡らせ、答える事ができません。申し訳ないです」と送っても、

質問は止まりません(笑)

「軽く考えてくれていいから、私のLINEを見た瞬間に思い浮かんだことを答えて。これって凄く大切なことですよ」と言われます。

「私は考えて答えたいです。軽く思い付きで答えたくないのです」と送っても、次から次へと…

こうなれば、未読です。

そうこうしている内に、他の人を介して「日本に来たので会いましょう」と連絡が…

…私は日々、する事が多く、精神的にも一杯いっぱい…

そんな中で、電話が何度も鳴ります。

クリスチャンの友達だったり、子どもの時からの友だちだったり。

電話に出ない事に心底怒るのです。

電話に出ないのは、出れないからだと話しても、

自分が、今どれ程難しい中を過ごしているのか。

親にも恵まれず、誰にも頼れず、生きて行くのがどれ程辛いことなのか。

永遠と感じる位の長さで、

不満をぶつけてきます。そして大泣きするのです。

この友達と偶然、道で会いました。

全力で不満をぶつけてくる友達。

会話の中に「あなたは幸せで、私は不幸せ」という大前提があります。

私には親がいて、夫と子どもがいるからです。

ずっと一人で生きて来た訳ではないから、私は幸せだと言うのです。

私は「いいな…この子は…うらやましい…」と思ったのです。

自分の言いたい事を全て吐き出す相手がいる。

(多分、本人は全ては吐き出していないと思ってるハズ)

私の周りに人がいても、私は心の内を吐き出すような事はできない…

…他の友達は両親が亡くなり「親の相続」の事で

大変だと嘆くのです。

それはそれで、大変だと思います。

今まで思ってもなかった兄弟との確執が出たり…

…他の友達は、少し前に排水溝が詰まったと大騒ぎしていたのですが、

今回は洗濯機が故障。

どの洗濯機を買えば良いのか本当に分からない…と

この世の終わりかと思えるような程に泣いて話すのです。

自分はこの様な電化製品が苦手。

これをどう選べば良いのか、店員の話を信じて良いのか…

…私は泣きたい…と思っていても、泣けません。

他の人に泣かれるから。

全力で私に助けを求めつつも、私に怒りをぶつけてくるのです。

分かる事は、

皆は自分の事だけだという事。

自分の事に集中し、他が見えない状態になっている事。

誰も、私に「最近どう?」と心配しれくれません。

「ちょっと!聞いて!!」から始まるのです。

…色々な思いが私の中で混じってしまい…

あ…私は故障するかもしれない…と思った時、

そんな時、ソロモンを思い出したのです。

ソロモンは知恵の王さまと言われていました。

ソロモンは王となり隣国との関係に悩んでいました。

それを解消するべく、戦略結婚を繰り返したのです。

主は2度もソロモンに忠告しました。

ダビデの道を歩むように諭されたのです。

しかしソロモンは「自分は上手くできる」

「政略結婚のみが解決方法だ」と確信していたのです。

この結婚は、国を治める為のものであり、

本当に愛する訳ではない。

だから大丈夫だという確信があったのです。

しかし、結局は、ソロモンは晩年、異国の神を異国の妻と一緒に拝むのです。

「自分は出来る」

「大丈夫」

「こうすれば解決出来る」という自分勝手な思い。

それが、主の忠告までも耳を貸さない状態になったのです。

…あ…私も

自分の方法で対処しようとしている事が多すぎた。

自分の考えで答えている事が多すぎた。

これは、こうすればいい…という思考。

私の中に、沢山ある…

これを今、立ち止まり、

もう一度、主に祈ってみよう。

主の前で全てを吐き出してみよう…

今、主に立ち返らないと…

私は壊れてしまう…と思わされました。

忙しくなると、

反射的に対応し、常識的な判断をしてしまい、

自分の頭で考える…

そうではない…

立ち止まろう…

主のもとに帰ろう…

ソロモンとダビデの大きな違いは

ダビデは「いつも主に伺った」と記録されている…

いつも、主に伺おう…

もう一度立ち止まり

「いつも、私の前に主を置く」生き方をしよう!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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