貧しい人は幸いである【ルカ6:20-23】

2024年

イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。
いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。
人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
その日には喜びなさい、おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。彼らの父祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。

ルカ6:20-23

イエスさまは「貧しい人は幸いである」と言われました。

何となく、私たちの常識というか、

誰もが考える「幸せな状態」とは

経済的に豊かであり、何においても不足がない…

ではないでしょうか。

イエスさまがこのセリフを言われた場所は、

ガリラヤ湖の近く。

ガリラヤ湖周辺は、死海周辺と同じで、

世界で最も標高が低い場所の1つとされているそうです。

海抜マイナス200m…

イエスさまの話を聞こうと集まってきた人々は、

貧しい人、病の人、外国人など社会から排除された人々でした。

イエスさまは、地理的にも、また社会的にも、

最も低い場所でこのメッセージをされたのです。

最も低い場所から、その場に集まった弱い人たちだけでなく、

後世に続く私たちに向けて、メッセージをされたのです。

「貧しい人は幸いである」と。

貧しい人とは、経済的な問題だけでなく、

社会から排除され、頼る術がない人…

人々から無視され、軽んじられている人

自分を支えるものがない人です。

主はどうして、その様な人を幸いだと言われたのでしょうか。

自分を守るもの、支えとなってくれる人、代弁してくれる人、

そのようなこの世のなかで頼る者がない人は、

本当に主にしかより頼む事が出来ないから…

主は、ご自分がキレイな身なりをして豊かに過ごしながら、

「貧しい物は幸いだ」と、言われたのではない。

ご自分は馬小屋の家畜で生まれ、

豊かな両親のもとで育った訳ではない。

周りにはいつも病人や弱い人がいてたのです。

そして、一番刑の思い十字架で亡くなられたのです。

主は、この世にいる間、一度も高い所に行こうとされなかった。

低い場所に留まられた。

そして、ご自分の話を聞こうとされる人と共に生涯過ごしたのです。

今日は、標高が世界で一番低いとされている地から

「貧しい人は幸いである」と語られた主を思い続けよう。

主は、低い所に立ち、語られた。

その意味する事を深く黙想してみようと思います。

…私はチャンスがあれば、

今より、少しでも良いものを目指しています。

今より、少しでも豊かに過ごそうとします。

今より、少しでも便利に暮らそうとしています。

私は「主を愛します」と告白しながら、

自分自身は、主のように生きる事を望んでいないように思います。

自分は、綺麗で安全で豊かな所に身を置き、

弱い人を助けようとしている…

これは、主が喜ばれる姿なんだろうか…

これは、主が望まれている姿なんだろうか…

自ら、貧しさの中に身を置き続ける…

自ら、御言葉に沿った生き方をして行く…

はぁぁぁぁぁ…

主に祈っていくしか答えはありません…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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