どうして人生は辛いのか…【イザヤ45:7】

2024年

わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。

イザヤ45:7

「人生って辛いことばかり…神様がいるならどうして…」という

言葉を知人から聞きました。

そうですよね…

神さまは私たちを愛して下さっており、

私たちが幸せに生きる事も喜んでいてくれるはず。

なのに…どうしてなのでしょう?

1つ分かる事は、

私たちは、困難がなければ、主を求めないという事。

悩みがなければ、私たちは解決を求めません。

不安があるから、平安を求めるのです。

悲しみがあるから、慰めを求めるのです。

もし、何の問題もなく、心痛める事がないとすれば、

私たちは神を必要とするでしょうか。

私たちは、何の問題もない状況では、

神は不必要なのです。

神がいなくても生きていけるからです。

そして、人間は神の存在を忘れるのです。

韓国に住んでいた時、この様な人を何人か見ました。

サラリーマンを辞め、自営のお店を始めたのです。

しかし、商売は直ぐに軌道には乗りません。

悪戦苦闘するのです。

もう店をたたまないとダメなのか。

借金を背負って終わるのか…

追い詰められ、教会に行き、皆に祈って貰っていました。

早天礼拝にまで出席し、

毎日毎日、涙を持って祈っていました。

月日が少し、商売が軌道に乗ると、

決まって教会に来なくなりました。

何度となくその様な姿を見ました。

ある人は、この様に言っていました。

「軌道に乗って来たら、献金をしないと…と言う負担を感じる。

でも、まだまだそんなの先の話…献金出来るほど儲けていない…」

その人なりの理由があります。

しかし、「人間の自分都合の欲」というのが目に見えます。

商売が上手くいかず、借金だけが残るかも…

と言う危機感を感じた時は、

人を巻き込んで祈るのです。

しかし、問題が解決方向に向かうと、

1人で生きようとするのです。

人間は高慢なのです。

困難の意味は何でしょうか。

私たちは困難を通して、

自分の無力を知るのです。

自分には解決出来る能力がない。

主がいなければ、私は何も出来ない存在であるという事を

実感するため…

その為に、困難があるのです。

主は、光と闇を造られた。

そして、光は闇の中で輝いている…という事は、

闇が殆ど。闇がベース。

闇の中に住んでいるのです。

その闇の世界の中に、光が輝いているのです。

だから、私たちの人生には

「辛いこと」「嫌な事」が多いのです。

しかし、闇が暗ければ暗い程、光は一層輝く。

問題が多きれば大きい程、光であられる主が際立つのです。

困難は、私が主を見上げる為に準備されているんだと思います。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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