あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
ルカ21:34
私たちは、思い悩むと言う「ストレス」を
出来るだけ軽減した生活を目指しています。
思い悩みがある状態は、苦しく不便な状態だからです。
健康に影響を及ぼしたりもします。
ですから、ストレスフリーなどという言葉もあるぐらいです。
しかし、このストレス…
精神的な問題だけではないのです。
今日の御言葉を読むと…
改めて「思い悩み」は、単なる「出来る限り避けたいもの」ではないのです。
「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいる」とあります。
私たちは、もしかしたら放蕩はしないかもしれません。
深酒もしないかもしれません。
それらは、「大変良くない」という認識があるからです。
人生を大きく左右してしまうと言う恐れを知っています。
アルコール中毒になった事がなくっても、
そこまで飲んでは駄目だと知っています。
しかし、今日の御言葉を見ると、
放蕩・深酒・この世の思い煩いが
並べて書かれています。
放蕩して人生を捨てるような生き方をするのと同じぐらい、
「この世の思い煩い」は駄目な生き方だという事。
深酒をして中毒になってしまうのと同じぐらい
「この世の思い煩い」は危険な事。
なのです。
どうしてでしょうか。
「この世」とは、主キリスト以外のすべてのものを含みます。
この世の思い煩い…
私たちの心が主に向かって、まっすぐ向けられているか。
自分と主の間に、色々な思いや考えを挟んでいないだろうか。
へブル12:1にも
「私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」とあります。
私たちが、キリストから目を離し、
この世の思い煩いに心を奪われている時…
主が突然、来られるかもしれないのです。
来られるかもしれない…ではなく、
御言葉には、
その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
とあります。
突然、主が来られるのです。
思いもしない時に。
…という事は、
この世の思い煩いは、単に私たちの体調を左右させるもの
ではなく、
永遠の命にも関わって来るのです。
主の再臨は、いつなのかは分かりません。
しかし、分かっている事は、
人類の中で、私たちが一番、主の再臨に近い時間に生きているという事です。
一切の思い煩いを主に委ねよう…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~