私たちに出来る伝道【Ⅱコリント2:14-15】

2024年

神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

Ⅱコリント2:14-15

去年、Aさんから「ちょっと入院してしまいました」と連絡が来ました。

その知らせを聞いた皆が心配をして、

「どうしたの?何か病気?怪我?」と聞くと

心の病だと言われました。

誰にも会いたくないし、話もできない。

また話せるようになったら連絡する…との事。

凄く忙しくしていた中、メンバーの1人が欠けたのです。

しかし、どうする事も出来ません。

残された人たちで協力して、乗り切るしかなかったのです。

そして年月が経ち、

復活したAさんはいつも通り、輪の中にいます。

そしてこんな話を他の人から聞いたのです。

「あの忙しい時期…Aさん元気だったみたい…」

この前、久しぶりの友達と偶然会って、

色んな話をする中、偶然Aさんとも友達だと発覚。

Aさん体調崩して大変だったよねと話したら、

何のこと?と言われたというのです。

入院していたのではないか? → そんな話は聞いた事ない

心の病だと聞いた → 定期的に会うけれど、ずっと元気だと思うけど…

一気に、Aさんは仮病だったのではないか?という疑心ができるのです。

でも「心の病」って見えない部分も多いし、

もしかしたら入院まではしてなかったとしても、

本人は苦しかったのかもよ!というと、

皆は納得しない様子。

…どうしてだろう。

どうして納得できないんだろう。

Aさんと近い人が入院してなかったというなら、

もしかしたら入院してなかったかもしれない。

でも、もしかしたら、凄く短い入院をしたかもしれない。

変わらず元気そうだったという言葉に、疑心が起きるのです。

何故なら「病にかかったら、元気でなくなるはず」だと思っているからです。

病にかかったら、何らかの変化が伴なわないと信じられないのです。

まあ…確かにそうです。

交通事故に遭えば、多少なりとも怪我があったり、傷ができたりします。

無傷のまま「大きな事後に遭った!」と言われても

疑心が生じます。

そんな事を考えていると、

「あなたはどう?」…と聞かれたように感じました。

私?

もちろん、事故や病の話ではなく…

私は変化しただろうか…

罪赦されて、キリスト者、神の子となったのです。

新しく生まれ変わったのです。

私は、人の目にも新しく変わっているだろうか。

昔のまま過ごしていないだろうか。

「わーあの人、変わったよね!」と感じさせることが出来ているだろうか。

「え?あの人、クリスチャンなの?」と思われていないだろうか。

神の子らしく人生を歩むという事は、大きな大きな証だと思います。

今、子どもの学校の学校改革で頭を悩ませています。

それを認知できていない保護者が多いのです。

だから、学校の行事があると、私は知らない保護者に声をかけ、

今学校がどうなっているのか。

私たちは何をしないといけないのか。

を話します。

しかし、私と同じ気持ちがあっても他の保護者は

私と同じように動いてくれません。

「え…ちょっと手伝ってよ~ 私一人では話しきれない~」というと

「申し訳ないけど、出来ない…💦 知らない人に、なんて何て話していいか分からない」と言います。

私も分からないし、私が知らない人が得意な訳ではないのです。

でも、本当に出来ない人には出来ない…

路傍伝道が難しい人に、無理やり「伝道はしないと!!」と言って

させる事は出来ません。

これと同じです。

しかし、私たちが誰にでも出来る伝道があります。

「神の子らしく生きる」事だと思います。

またその姿は、主に喜ばれる姿でもあるのです。

キリストの香りを放つ者となりたい…

「あの人が言うなら、一回教会に行ってみよう」

「あの人が言うなら、一回聖書を読んで見よう」

と言われるキリスト者に…

私はなりたい…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~

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