神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。Ⅱコリント2:14-15
去年、Aさんから「ちょっと入院してしまいました」と連絡が来ました。
その知らせを聞いた皆が心配をして、
「どうしたの?何か病気?怪我?」と聞くと
心の病だと言われました。
誰にも会いたくないし、話もできない。
また話せるようになったら連絡する…との事。
凄く忙しくしていた中、メンバーの1人が欠けたのです。
しかし、どうする事も出来ません。
残された人たちで協力して、乗り切るしかなかったのです。
そして年月が経ち、
復活したAさんはいつも通り、輪の中にいます。
そしてこんな話を他の人から聞いたのです。
「あの忙しい時期…Aさん元気だったみたい…」
この前、久しぶりの友達と偶然会って、
色んな話をする中、偶然Aさんとも友達だと発覚。
Aさん体調崩して大変だったよねと話したら、
何のこと?と言われたというのです。
入院していたのではないか? → そんな話は聞いた事ない
心の病だと聞いた → 定期的に会うけれど、ずっと元気だと思うけど…
一気に、Aさんは仮病だったのではないか?という疑心ができるのです。
でも「心の病」って見えない部分も多いし、
もしかしたら入院まではしてなかったとしても、
本人は苦しかったのかもよ!というと、
皆は納得しない様子。
…どうしてだろう。
どうして納得できないんだろう。
Aさんと近い人が入院してなかったというなら、
もしかしたら入院してなかったかもしれない。
でも、もしかしたら、凄く短い入院をしたかもしれない。
変わらず元気そうだったという言葉に、疑心が起きるのです。
何故なら「病にかかったら、元気でなくなるはず」だと思っているからです。
病にかかったら、何らかの変化が伴なわないと信じられないのです。
まあ…確かにそうです。
交通事故に遭えば、多少なりとも怪我があったり、傷ができたりします。
無傷のまま「大きな事後に遭った!」と言われても
疑心が生じます。
そんな事を考えていると、
「あなたはどう?」…と聞かれたように感じました。
私?
もちろん、事故や病の話ではなく…
私は変化しただろうか…
罪赦されて、キリスト者、神の子となったのです。
新しく生まれ変わったのです。
私は、人の目にも新しく変わっているだろうか。
昔のまま過ごしていないだろうか。
「わーあの人、変わったよね!」と感じさせることが出来ているだろうか。
「え?あの人、クリスチャンなの?」と思われていないだろうか。
神の子らしく人生を歩むという事は、大きな大きな証だと思います。
今、子どもの学校の学校改革で頭を悩ませています。
それを認知できていない保護者が多いのです。
だから、学校の行事があると、私は知らない保護者に声をかけ、
今学校がどうなっているのか。
私たちは何をしないといけないのか。
を話します。
しかし、私と同じ気持ちがあっても他の保護者は
私と同じように動いてくれません。
「え…ちょっと手伝ってよ~ 私一人では話しきれない~」というと
「申し訳ないけど、出来ない…💦 知らない人に、なんて何て話していいか分からない」と言います。
私も分からないし、私が知らない人が得意な訳ではないのです。
でも、本当に出来ない人には出来ない…
路傍伝道が難しい人に、無理やり「伝道はしないと!!」と言って
させる事は出来ません。
これと同じです。
しかし、私たちが誰にでも出来る伝道があります。
「神の子らしく生きる」事だと思います。
またその姿は、主に喜ばれる姿でもあるのです。
キリストの香りを放つ者となりたい…
「あの人が言うなら、一回教会に行ってみよう」
「あの人が言うなら、一回聖書を読んで見よう」
と言われるキリスト者に…
私はなりたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~