彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。
使徒9:4
昨日、このブログが開かず…かけませんでした。
昨日、感じた事をメモとしてTwitterに残しました。Xです…
私は、よくパウロの回心する場面を思い出します。
自分の罪深さを感じた時とか、
自分の不足な面を思い知らされた時とか。
人間の目には、歴史に残る人物としてパウロは選ばないように思うからです。
主がどうしてパウロを選んだんだろう。
パウロほど、キリスト教の歴史に影響を及ぼす人物として
私なら絶対に選ばないし、選べない。
私の目と主の目。
私の目はうわべだけなんだろうな。
今のパウロの姿をみて、極悪者としか見えない。
使徒としては正反対な姿。
でも主は、今のパウロの姿でなく、パウロの未来の姿まで見られる。
私なら「サウロ お前は…‼」と、怒りをあらわにしそうです。
ガツンと頭を叩くような感じ。
しかし聖書を見ると「サウロ、サウロ…」と
優しい語りかけのように感じます。
どうして2回呼んだんだろう…と思い、
他にも、2度続けて名前を呼ばれる時があったのを思い出しました。
おもてなしに気を取られているマルタにも
マルタの名前を2度呼んでいます。
マルタを責めるのではなく、マルタの気持ちを汲んでイエスさまは
「今、何が重要で何を優先的にするべきか」を教えられました。
イエスさまが十字架に架かる前、
シモン(ペテロ)にも2度呼ばれています。
サタンが、ペテロを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられたと話した時。
この時も、優しく語られているのです。
イエスさまはペテロに、
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
と言われています。
そして今日の御言葉の、
パウロに対して「サウロ、サウロ」とパウロに語りかけています。
こう見ると、
イエスさまが重要なメッセージを伝える時に2度名前を呼ばれている様に思います。
イエスさまは、決して感情的になられず、
重要なメッセージが、相手に届く事を重点に置いている様に思います。
怒りたい・注意したい。反省させたい… という思いではなく、
相手の心に入るように…という点に重きを置いている。
感情に任せた話し方ではなく、
相手にとって信仰の成長を促す話し方
を考えないと…
自分の感情を爆発させたり、
自分の気持ちを優先していて駄目だな~と感じました。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)