自分を正しく知る【ガラテヤ2:16】

2024年

しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。

ガラテヤ2:16

先日、カインとアベルについて書きました。

その後も、カインとアベルを黙想していました。

どうしてこの2人の捧げものに差がでたのか…

弟のアベルの捧げものは目を留められ、

兄のカインの捧げものは目を留められなかったのか。

カインとアベルでは、捧げものをする為にかけた

時間にも差があると思います。

アベルは、どれが良いか?と選んだのです。

カインは、記録されていませんが、

それ程時間をかけなかったのではないか…

単なる初穂だったのでは…

その差は何だろう。

どうして捧げものをする時、

時間をかけて選ぶ人と、簡単に選ぶ人がいるんだろう。

私たちも、人にプレゼントする時、

凄く悩む時と、パッと簡単に決める時があります。

大切な人ほど、時間をかけて選ぶと思います。

どれぐらい相手の事を思っているかの差。

主をどれ程、愛しているかの差。

主にどれ程、感謝しているかの差。

…感謝している思いが大きい程、愛が大きい程、

選ぶ事に慎重になるように思います。

多分、カインよりアベルの方が主に感謝していたのではないか。

どうして、カインよりアベルの方が感謝していたんだろう。

簡単に言えば、2人とも主を信じるクリスチャン。

クリスチャンの2人が、捧げものをしたのです。

しかし、片方の方が凄く感謝していたんだと思います。

感謝できる事が多かったから?

私たちも、感謝でいる事柄が多い人の方が、

主をもっと愛し、

主をもっと近くに感じている様に感じます。

感謝を出来る人と感謝をあまり感じない人の差は何だろう…

ある人は、凄く主を体験しているから感謝出来るのか?

自分は祈ってもあまり主を感じないから

主に感謝できないんだろうか…

主が私に下さる祝福の量が問題なんだろうか。

主が私を沢山祝福してくれたら、

私は主を感謝出来る人になれるんだろうか。

…主が私たちに下さる一番大きな祝福は、

皆、同じもの。

皆、同じ祝福。

罪の赦しと永遠の命。

これは、全ての人に与えられた、同じ祝福であり、

何にもまして一番大きな祝福。

同じ祝福を貰っていても、

凄く感謝出来る人もいれば、実感出来ない人もいる。

その差は、

自分の罪深さを実感出来ているかどうか…だと思います。

自分の罪深さに気付けば気付く程、

自分と言う人間を正しく知れば知るほど、

感謝でしかない。

救われている事に感謝が溢れれば、

主への礼拝の姿勢も変わって来るんだと思います。

主に喜ばれる礼拝を捧げるには、

自分の罪を知る必要があるんだな…と感じた一日でした。

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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