クリスチャンって自由がない?【箴言3:4-5】

2024年

神と人との前に好意と聡明を得よ。
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

箴言3:4-5

長年、教会に通っている人がこんな事を呟きました。

「クリスチャンって自由を奪われてるように感じる」

と言うのです。

どういう時にそう感じるのか聞くと、

日曜日は教会に行くから、他の約束を入れる事が出来ない

飲み会なども気が引ける感じがする

時折、クリスチャンでもそんな事言うんだとか、そんな事するんだと言われる。

…分からなくもないです。

私が韓国に留学した時、日本人の留学生は殆ど居ませんでした。

そんな中で生活すると「人々は私は日本人の代表」と思ってるのか?と

感じる事が多かったです。

何をしても、何を言っても「日本人はそうなんだ」

「日本人はそんな事も知らないんだ」

「日本人って…」と

私の言動が、日本人の言動のように取られるのです。

そして、今よりもっと日本に対して良い印象がない社会でした。

全てそんな思いを持ちながら、私を見て「日本人って…」と言うのです。

その様に、私の言動が日本人の言動として

映る事に、凄くしんどさ、窮屈さを感じました。

「私の言動が日本人の言動ではない」とは説明しても

なかなか伝わりませんし、

全ての人にそんな説明はできません。

その中で、

私は、人に親切に、挨拶もきちんと、良い関係を結べるように努力しました。

時間はかかりますが、

良い面を見せる事により、

人からも「日本人はやっぱり親切…」と言われ、

ストレスは軽減されました。

…これと同じように、日本の社会ではクリスチャンはマイノリティー、少数派です。

余り周りにはいないクリスチャンという信仰を持った人。

その人の言動は「クリスチャンの言動」となってしまう事があるかもしれません。

どうすれば良いのでしょうか。

これを負担に感じると、ストレスになります。

クリスチャンでいる事がストレスとなり、窮屈に感じるのです。

クリスチャンだから「出来ないところ」…規制を考えるのではなく、

クリスチャンだから「出来るところ」に

考えをシフトするのが一番だと思います。

今日の御言葉のように、

主は、私たちに「神の前で良い人であれ」とは言われていません。

神と人の前で良い人…

好意と聡明を得よ。と言われています。

主の前に向ける心を、人の前でも向ける。

クリスチャンだから、一生懸命働くのです。

クリスチャンだから、良い人間関係をきずく努力をするのです。

クリスチャンだから、人に親切にするのです。

クリスチャンだから、困った人に声をかけるのです。

クリスチャンだから、人を励ますのです。

クリスチャンだから、謙遜に生きるのです。

クリスチャンとして、

正しく生きようとする姿勢をみせるのです。

そして、その様に出来ることをする上で

注意点が御言葉に書かれています。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。」

「正しい」という事さえ、完璧に自分で判断はできません。

自分の悟りに頼ってはダメなのです。

自分の経験、自分の思想による判断はダメなのです。

主に拠り頼みながら、正しく生きようとするのです。

心を尽くして主に求めないといけない…

「正しい」か「正しくない」かは、

私たちは無意識的に判断してしまう事が多いのです。

無意識的な判断には、主が介入できないのです。

考える必要がなく、正しい…と思っているからです。

私たちの常識、判断、基準は、

主と大きく違うものが多いと思います。

一つ一つを主に拠り頼みながら、

クリスチャンとして良き働きをする人になりたい…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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