信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
へブル12:2
最近、PTA活動を通して気付いた事の続きです。
私は凄く信頼していて、
長年共にPTA活動をしてくれている保護者2人を、
私の近い存在として活動してもらえるようにお願いしました。
そしてそれ以外の役員さんは、全く初めて参加する人が半分以上、
私とは違う意見を持っている人。
まず反対意見を直ぐに言うけれど、
理解してもらえれば強い味方になってくれる人。
など、様々な保護者がいます。
通年とは違うPTA。
次から次へと準備する事、出向く事、話し合う事、調べる事…
仕事をする時、長年PTAにいた人は、新しく役員になった保護者と一緒に
考え準備したり話し合うようにしています。
新しい役員たちを育てる為です。
高校生の子を持つ役員は数年後に卒業しますが、
卒業した後にも、この学校が子どもたちの居場所として存在し続ける為に、
時間を凄くかけて、マインドを分かち合うのです。
人が集まれば、同じ目標を持っていたとしても
意見がぶつかる事もあれば、嫌な思いをすることもあります。
ある保護者は、凄く仕事は出来るのですが、
「自分が準備した」「自分が解決した」という主張が強い保護者がいます。
その様な発言と態度を聞く度に、数名はため息がでるようです。
「また…自分が…の話が始まった…」と
少し呆れた思いになるようです。
その気持ち分かります。
しかし今、私たちは「誰がした」という事が大切ではなく、
学校の存続を守る事が大切なのです。
「色んな人がいるけれど、目標がブレないようにしよう!
今は、人の好き嫌いを言ってる場合じゃない…」
と伝えます。
私が信頼している保護者がため息が出る度に
私は「今は人の好き嫌い言ってる場合じゃないよ~」と
口癖のように言っています。
…人が集まると、多かれ少なかれ何か問題が起きます。
自分を主張する人もいれば
マウントをとろうとする人、
文句ばかり言う人、
マイナス思考を発信する人、
…色々いるのですが、
大切なのは、そこに重点を置かない事だと思います。
そこに集まった人たちはそれぞれ個性があります。
しかしその人の個性に、目を奪われ、心まで奪われてはいけないと思います。
同じ方向を見るべき。
昔、こんな言葉を聞いた事があります。
「結婚は、互いに見つめ合うのではなく、一緒に同じ方向をみつめることである」
サン=テグジュペリの言葉だったと思います。
これと同じです。
「同じ方向を見よう!」と、今日も会議で声をかけながら…
教会もこうあるべき…
教会も同じイエスさまを信仰しながらも、
人それぞれの個性や癖があります。
教会の中も、それぞれが違うのです。
「あの人がクリスチャンだって言える?」
「クリスチャンらしくない」
このような言葉や思いが出てしまう事があります。
しかし、私たちはこのように互いに見つめ合い、
教会やクリスチャンに対して疑問を持つのです。
それは互いに見つめ合うから…
好き嫌い言ってる場合じゃないのです!
私がもっと、人の救いや、世の終わりに対して熱い思いや
危機感を感じていたとしたら…
同じ教会と言う船に乗ったのなら、
互いを見つめ合えば、その船は前に進みません。
同じ場所でクルクルと回る事になるかもしれませんし、
途中、誰かが船から降りるかもしれません。
教会は船です。
進行方向に思いと意識を向け、
自分に与えられた仕事を忠実に行い、
周りの人にも温かい声かけをし励ますのです。
始めに持ったゴールに目指すためにです。
私たちは、文句を言ってる場合じゃない…
好き嫌い言ってる場合じゃない…
自分がそこに目をやる状態なら、
目標から目をそらしている状態なのです。
つまり、自分が目標を見れていないという状態だと分かります。
クリスチャン同士、同じ方向を目指したい。
今日も、主を目指して生きよう!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)