的外れな生き方をしているかもしれません【ヨハネ20:27-29】

2024年

それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

ヨハネ20:27-29

今日も、パートで行っている病院の話です。

仕事の中に「オムツを替える」事があります。

オムツをしている人には色々なタイプがあります。

➀ 今まで凄く元気だったのに病気や薬の治療のせいで

一次的にオムツになってショックを受けてる人。

② 長くオムツをしてるけどオムツを替えられる事に羞恥心を感じている人。

③ オムツをしてる事も、今、オムツを替えられている事も分からない人。

今、担当している病室に90過ぎの女性が居られます。

会話などは出来るのですが、痴呆があり、③タイプです。

自分が今、病院で入院していると分かっていません。

気分にムラがあり、よく攻撃的になります。

オムツを替えようとすると、意地悪をされている様に感じるようで、

暴言や叩いたり、つねったり…します。

Aさんにとっては、意地悪をされているのですから、

自分を守る為に、抵抗されるのです。

偶然、そのようなAさんの抵抗とも思える姿を

偶然、ご家族が見たのです。

一回目は、私が食事介助をしている時、

一口食べる度に「ばーか!」と私に大声で言うのです。

病室の前に着いたご家族は、

Aさんの病室から「ばーか!」の連続と、暴言が聞こえるので、

ビックリして入って来られたのです。

そして、Aさんの姿に驚き「お母さん!何言ってるの?? すみません…」と。

そして娘さんは、Aさんに、今、病気で入院しているという事。

みんなに助けてもらって治療しているのに、

その態度は可笑しい!という話をされました。

すると、凄く攻撃的で怒りに満ちた表情から、

同じ人か?と思う程、優しい顔つきになり、

Aさんは私に謝られました。

二度目は、オムツを替えている時、

Aさんは、意地悪されてると感じるのですから、

替える事に抵抗されます。

暴言が続き、一発かましてやろう!的な感じで、

私の顔を狙ってグ―パンチをしたのです。

幸い、避けれたので頬にかする程度でした。

その瞬間を娘さんが見られたのです。

「お母さん‼ 何てことするの‼」と。

Aさんの前で、娘さんは私に謝られ、

その姿を見たAさんの表情も

以前見せた、優しい表情に変わっていました。

Aさんは、、自分が悪い事をしようと思ってしているのではない…

自分を守る為に抵抗しているのです。

自分のしている事は正しいのです。

残念ながら、その判断は間違っているのですが、

彼女の中では正論なのかもしれません。

私たちが「ここは病院であり、今入院している」

「便が出てるから綺麗にしないと病気になる」

「私はあなたが少しでもよくなるように助けたい」と話しても、

彼女の耳には入らないのです。

しかし、娘さんが話すことは信じる事が出いるのです。

自分の間違いに気付くことが出来るのです(痴呆だから直ぐに忘れるけれど)

どうしてでしょうか。

Aさんにとって、私の言葉には説得力がなく、

娘さんの言葉には説得力があるのです。

Aさんは、娘さんと長く関わって来たから、

Aさんは娘さんを信頼しているのです。

自分の目には、意地悪だと感じても、

娘がそう言うのだから…

私が間違っていたんだと素直に認める事が出来るのです。

娘がそう言うのだから…

オムツを替えられる事を許可しようと心が動くのです。

…私は、主をどれ程、信頼出来ているんだろう…

聖書には沢山の約束や、主の言葉があります。

「私はあなたを愛している」

「私はあなたに計画を持っている」

「人にはできない事も、神にはできる」

「私は新しい心をあなたがたに与える」

「自分の罪を告白するならば、その罪をゆるし、全ての不義からわたしたちをきよめて下さる」

「主はご自身の栄光の富の中から、あなた方のいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満たして下さる」

「求めなさい。そうすれば与えられる」

「試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さる」

「私はよみがえりであり、命である。私を信じる者は、たとい死んでも生きる」

このような言葉が沢山あります!

私は、

「主がこう言われているんだから!」

「主は、のがれる道も備えて下さると言ってるんだから」

「主が与えると言って下さっている!」と…

…どれ程、主の言葉に信頼出来ているだろうか。

Aさんが自分なりの主張を、事もあっさりに手放し、

娘さんの言葉に安心を得たように…

私は、どれ程、主の言葉に信頼を置き、

心が変えられているんだろう。

もし、主の約束に安心感を得れていないならば…

主との信頼関係が成り立っていないと言えるのかもしれません。

信頼関係は、交わりを通し築くもの。

主との交わりが不足しているのかもしれません…

本当の真実を知らないで生きるという事は…

自分の判断で言動し、自分を守るAさんのように、

的外れな生き方になっているかもしれません。

私たちは、的を外しながら、懸命に日々を耐え、

過ごしているかもしれません…💦

もっと聖書を読もう!

もっと祈ろう!

もっと賛美を捧げよう!

主と強い信頼関係を築きたい!!!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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