人生の過ごし方【へブル12:2a】

2024年

信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい。

へブル12:2a

入院している患者さんで、

入院中に自分の病名を知ったり、

または、日に日に自分の身体が弱っていくのを感じたり…

「死」という文字が頭を過ぎるという人は多いです。

「何の為に生きてきたんだろう…」

「自分の人生に何の意味があるんだろう」

「自分の人生はこれで良かったんだろうか」

と言うような事をよく聞きます。

多くの人がそう思うのではないでしょうか。

もし、自分がベッドに横たわっている人だったら…どうでしょうか。

自分に「死」が近づいて来ているのを感じ、

何を考えるでしょうか。

多分、彼らと同じように、自分の人生を振り返るのではないでしょうか。

そして、自分の人生はこれで良かったのだろうか…と考えると思います。

自分の人生は何に時間を使ったんだろう。

自分の人生を一言で表すならば、

何と言う事が出来るんだろう…

…私は毎日、凄く忙しいです。

しないといけない事が多く「これまだですか?」「あれはどうなりました?」とずっと連絡が入ります。

一日一日があっという間に過ぎ去り…

時々「私は何をしているんだろう…こんな事に時間を使って良いのだろうか?」と考える時があります。

そんな事を考えながら、

今日、私は実家へ行きました。

両親は主のもとに帰ったので、実家はもう誰も住んでいない状態です。

荷物の片づけをしながら探し物をしていました。

生前、父親はカメラが趣味でした。

沢山の写真が実家にあります。

「お父さん、カメラ本当に好きだったよな~」と懐かしく感じました。

いつも実家に行くと、自分が写した写真を見せてくれ

カメラをどの様な設定にしたかを説明してくれていました。

でも、カメラにそれほど興味がない私は、

父親の話は余り分かっていませんでした。

「今になっては、もっとちゃんと話を聞いてれば良かったな…」と思いました。

そう思いながら、色々な被写体の写真を見ながら

気付いた事がありました。

「写真を写す時は、全部を写したらだめ。

どれか一つにピントを当てないとダメ」と

言っていたのを思い出したのです。

桜の木をを写す時も、何も考えずに「綺麗な~」と思いながら

何気に写すのではなく、

綺麗な桜の中でも、一輪にピントを当てる事が大切!と言っていたのを思い出したのです。

父親が写した写真を見ると、

父親が被写体として一つを選び、そこにピントを当てているのが分かります。

「あ…これを中心として、写真を撮ったんだな」

「この桜の木の中で、この子(花)が主役だったんだ」と分かる写し方です。

被写体を決めて写している写真は、

凄く美しいです。

なるほど…人生もこれと同じかもしれない…と思いました。

出来るだけ沢山の被写体をカメラに収めるのではなく、

焦点を決める。

私たちは、日々忙しい時間の流れの中に存在しています。

しないといけない事が多いのです。

その中でどのようにすれば、

焦点を当てれる生き方をする事が出来るのでしょうか。

まず… 起きた時に祈るのです。

「主よ。今日も新しい一日を与えて下さり感謝します。

今日、私は主が願っている事をする事が出来ますように」と祈るのです。

私たちクリスチャンは、

キリストに焦点を当てる人生を歩むべき…

主に焦点を当てて、

今日も一日、過ごす事ができますように…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

タイトルとURLをコピーしました